“さっきゅんキッス。”
作:眼帯兎
交わす言葉が失われると同時に、訪れた妙な沈黙。
私の望むことを叶えてくれる優しいあの人。
私を驚かせないようにと、ゆっくりとした足取りで距離を詰める。
そして、少しだけ背の高い彼女の唇が、私の元へと降りてきた。
優しく優しく、経験不足な私を気遣う口付け。
そのくせ物足りないと求める私を満たそうとする、繰り返される口付け。
最初は触れるような、僅かなキス。
次に下唇を啄むようなキス、上唇をなぞるように動く舌。
驚いて声を漏らすその隙に、優しく差し込まれる舌、流れ込んでくる唾液。
そこからはもう、何も考えられなくなる。
恋に未熟な私と、優しい優しい門番との口付け。
呆然と惚ける私の目の前で微かに微笑む、彼女の余裕の表情が少しだけ悔しい。
私の名前は十六夜咲夜、肉体は十七の頃に止まっている。
紅魔館のメイド長として勤めて何百か、完全で瀟洒と謳われる従者。
弾幕ごっこではあまり負けを知らずに来た。
恋愛経験は、三カ月程前からようやく一つ。
その相手の名は門番。
最近呼ぶようになった名前、紅美鈴。
■
「……咲夜が何か悩んでいるみたいなのよね」
ティーカップを受け皿に置いて、レミリアは溜息と共に言葉を溢した。
その言葉に、茶会の場となっている図書館の主、パチュリーが微かに視線を上げる。
地下から抜け出したフランドールは興味が無いのか、ちゃっかりと姉の茶菓子をくすねていた。
唯一、使いに出ている咲夜の代わりに給仕をしていた小悪魔が、珍しく一番まともな反応をみせた。
「悩み、というと?」
小悪魔が先を促し、レミリアはフランドールを席に着かせつつ、その経緯を語り始める。
最初に、時折見せるようになった溜息のこと。
唇に指を添えて、何か考え込んでいたこと。
窓辺に立つ咲夜が、美鈴を見つめて曖昧な表情を浮かべていたこと。
自分に対する態度が、皆最近冷めていること。
レミリアの言葉に、皆が事態を把握する。
因みに最後に語られた事柄に関しては、全員が無視を決め込んだ。
レミリアは心の中に雨を降らせつつ、纏めるように結論を告げる。
「もしかして、門番と上手くいってないんじゃないかしら」
従者一人の為に、尊大な紅魔館の主は自分なりの考えを語った。
その姿勢は、一人の主としては素晴らしいものであったかもしれない。
しかし、先の話のせいか、その場にいた三人は、いまいちそれを認めることが出来ずにいるようだった。
レミリア株は今日も平行線上を低迷している。
■
「それじゃ、各々が何か対策を練るということで、いいわね?」
結局、咲夜についての議会はパチュリーが締めることになった。
レミリアは少しだけ不満に思いつつも、結果には満足している。
少なくとも、咲夜の為にできることは見つかった。
それに、最終的には賢い友人を頼りにしていた部分もある。
一応は、レミリアは咲夜のことを一番に考えていたのだ。
「さて、どうしたものかしらね」
問題はどのような経緯であの二人が仲違いをしたのかである。
咲夜の帰宅を期に解散してから、レミリアは漠然とそんなことを考えていた。
自分にとって楽しいことになることなら、いくらでも思い浮かんできたというのに。
思えば、誰かの為に策を講じることなど一度も無かったのだ。
「慣れないことは、するものではないわね」
不意に、運命を見る瞳が微かに揺れる。
この能力を持ってすれば、レミリアの手によって変えられる事象の全てを操ることができる。
時計針の牛歩が七つ進む間、レミリアは紅い瞳を閉じていた。
使えば全てを台無しにする、運命を操る能力。
後悔を重ねてきたその能力の使用を悩ませるほどに、レミリアにとっての咲夜は大きかった。
しかし、大切だからこそ、力は使わぬままで咲夜を助けたい。
七秒ほどの短い時の中で、レミリアはその運命を選択した。
「フラン、着いて来なさい」
「えー、私もメイドを――」
地下へ戻されると思ったのか、フランドールは不満気な表情を覗かせる。
以前では考えられない妹の姿に、レミリアは薄く笑い、手を取って言う。
「ええ、だから……一緒に咲夜を元気にしましょうね」
「――うんっ!」
その笑顔に、お姉様と、ずいぶん久しぶりにフランドールが答えた。
■
「行くわよフラン!」
「応っ!」
また何かに影響されたのか、プリティボイスに漢らしい言葉を持ってフランが答える。
レミリアはそのギャップに新たな可能性を見出し、紅い奔流を伴って紅魔館の廊下を飛翔した。
その異様な光景に、標的である咲夜は呆然と立ち尽くすばかりである。
しかし、紅魔館勤めも長い咲夜には、鍛え抜かれた本能があった。
初見殺しの狂気じみた速度で飛来したフランドールを、寸前のところで回避する。
「わっ!」
驚きを見せるフランドールの横顔とすれ違いながら、懐中時計に手を伸ばして小さく舌打ちを鳴らす。
煌めく翼の光に目が眩み、一瞬の隙ができた時、咲夜は飛来するもう一つの紅い弾丸を見つけた。
時を止める間もなく、咲夜の当たり判定(唇)に、レミリアは見事命中した。
そのまま咲夜はレミリアに抱えられるようにして、惰性に従い滑空する。
宙空に浮かびながら、暫しの間、押し当てるだけの幼稚なキスを受けていた。
――咲夜さんは可愛いですね。
不意に、そんな囁きを思い出してしまった。
もしかしたら美鈴は、こんな気持ちであの言葉を漏らしたのではないだろうか。
「もし、そうなのだとしたら」
それは、とても悔しい。
「……えー、元気にやってるかしら?」
「はい。それで、いかがいたしましたか? あのようなことをなさって」
曖昧な挨拶に、咲夜は冷めた笑顔を浮かべたままレミリアに噛み付いた。
基本的には従順だが、時には厳しく意見することもある。
そうあることが優秀な従者で在りえるのだと、咲夜は考えていた。
無論、それは遠まわしに、決して主の威厳を損なわない形で行われるべきである。
しかし、今回の戯れについては、咲夜も直接的な手段を執ることにした。
現在、咲夜の背には明確な言葉を体現した意志が宿っている。
曰く、流石に今回の辞職願は取止めも利きませんよ、と。
完璧な笑顔の向こう側に強大な威圧感を乗せて、咲夜は微動もせずレミリアに詰め寄る。
そして、レミリアの唇がようやく弁解の為に開くと同時。
「めぇえいぃいどぉぉおぉおっ!!」
声が耳に届いた頃にはもう遅い。
瞬く暇も与えずに飛来したフランドールは、実に手際良く咲夜の唇を奪いに来た。
三つ数えられる間、優しいキスを受けて、咲夜はようやくフランドールを引き剥がす。
「元気になった?」
その言葉に、如何に文句を言おうかと開きかけていた唇が噤まれる。
同時に、レミリアへと視線を移すと、ばつが悪そうに顔を背ける姿が見えた。
何となく、ずるいと咲夜は思う。
「……はい。ありがとうございますフランドール様」
思わず零れた笑顔に連動するように、フランドールにも笑顔の花が咲く。
「それで、何を悩んでいたのかしら」
そこに、レミリアが間を置かず問いかけた。
その表情もまた、笑顔。
咲夜はその表情を読み取って、自分が言い逃れのできない状態にあることに気付かされた。
目の前には純粋な、自分を心から心配するフランドールがいる。
この状況で、どうして嘘が吐けるだろうか。
咲夜は笑顔を引き攣らせつつ、恥かしい、その理由を語り始めるしかなかった。
「実は――」
■
「キスが上手になりたい?」
意外だったのか、呆れたようなレミリアの声が紅魔館の廊下に木霊した。
思ったよりも良く響いた声に、咲夜は朱色に染まった頬を隠すように顔を伏せる。
「そっか、それじゃあ――」
そこに、暫く黙り込んでいたフランドールが口を開いた。
「お姉様じゃダメね。キス、下手だもの」
グサリと、何かが刺さったかのように、レミリアが胸を押さえていた。
「はい、残念ですが、私もあのように相手を不快にさせているのでは……と」
「不快っ!?」
ドスンと、レミリアが何かに貫かれたかのように仰け反っていた。
見れば、瞳の端には涙のようなものが煌めいていたが、咲夜は無視することにした。
無理に理由を話させた、細やかな仕返しである。
そこに、消沈したレミリアの肩を抱くようにして、少女の声が紅い廊下に響いた。
「あらあら、そこが初々しくて可愛らしいのに」
「あら、パチュリー様のところの……」
「図書館ね」
「司書ですわ」
黒のベストに同色のスカートの事務的な制服を纏った小悪魔が、気配を感じさせずそこにいた。
そして、その背後にはセットになって、やはりもう一人少女が立っている。
「えーっと、キスを手早く上達させる方法は……」
「聞いて、いらっしゃったのですか?」
パチュリーの呟きに、咲夜は軽い絶望と共に問いかける。
その答えは、無言の頷きと朗らかな笑みによって返された。
できることなら地中深く潜りたいと、遠退きかけた意識の端で咲夜は思う。
小悪魔の柔らかな笑みも、今や嘲笑にしか見えない。
それを知ってか、咲夜と視線が交わると同時に、小悪魔は笑みをより深いものへと変えていった。
悪魔より性質が悪いと、咲夜は本気で感じていた。
全くもって、彼女は悪魔らしく、喰えない女性である。
「さて、キスだったわね……短時間で理解するには、やはり実践かしら」
「そうですね、パチュリー様」
不意に、小悪魔の笑みが変質するのを咲夜は見た。
きっとろくでもないことになるのだろうと、咲夜は小さく呟く。
予感は予言となって、未来に必ず起こりえるだろう。
何故なら今目の前で、パチュリーはスペルを発動させ、小悪魔の笑みは一層深くなっているのだから。
「最初は軽いキスから、そこから舌使い、同時にボディタッチについて学びましょう」
「実践相手は私です。咲夜さん可愛らしいので、やる気出てきましたよー」
悲鳴すら上げられないまま、紅魔館の廊下では異様な儀式が執り行われていた。
藁をも掴む気持ちで助けを求めた主は、傷心のためか未だに帰ってこない。
不運と肝心なときに助けてくれない主を恨みつつ、咲夜はゆっくりと学習を続けていった。
■
営みは今日も門の前で繰り返される。
怯えているかのような、啄ばむ様に優しい口づけ。
荒々しくもあり、深く繋がろうとする積極的な口づけ。
唇を挟むようにして吸い、舌をなぞり、細かく小さなキスも断続的に。
息継ぎの間も惜しいのか、放した唇を再び寄せようとする咲夜に、美鈴は問う。
「どうしたんですか、いきなり」
言っては悪いが、咲夜はこういった事柄が苦手の筈だった。
少なくとも彼女自身、自分が初めての恋仲であると語ってくれた。
故に、美鈴の知る限り、咲夜は自分からこういったことをできる人では無い筈なのだ。
しかし今、いつもリードしてきた彼女は、自分から求めてきてくれている。
その事実に、若干の悦を感じつつも、美鈴は聞かずにはいられない。
「何か、あったんですか?」
「……気持ちよかった?」
「――へ?」
「……何でもない」
咲夜の言葉に、美鈴は暫く返答することができなかった。
その間に、再び唇が寄せられる。
ふとした隙に舌を滑り込ませ、最初は味わうように絡め合う。
二度、三度とそれらを繰り返した後も、舌は飽きを感じさせぬように動き続けた。
柔らかい感触が歯をなぞるように動き、時折頬の内側を押す。
舌は不規則に回転方向を変えて、口内の全てを味わうように動く。
さり気なく腰に添えられた手は、徐々に下がり太腿へ。
その適度なボディタッチに、美鈴は思わず電流を流したように背筋を伸ばした。
それでも、逃がさないとでも言うように、頬に添えられていた手が後頭部を抑える。
同時に耳の後ろをゆっくりと撫で上げて、更なる刺激を与えようとする。
それは、美鈴とは別のタイプの攻め込み篭絡するような口づけだった。
恐らくは、あの図書館の司書あたりが教え込んだのだろう。
そして、吸い出した美鈴の舌を甘噛みしたところで、咲夜の動きが止まった。
薄く開かれた瞳は不安そうに、痛くなかったかなと心配するように揺れている。
そんなところが溜まらなく可愛くて、我慢など、できる筈がなかった。
未だに続けられているボディタッチ、そこに意識を裂いて疎かになった舌を絡めとる。
甘噛みの仕返しをして、休む間を与えず口内を舐め上げて、最後に唇を離して抱きしめた。
「今日は、積極的でしたね」
ぎゅっと、抱きしめたまま、耳元に言葉を残す。
荒くなった二人分の息が耳元に聞こえてきて、それが堪らなく扇情的だった。
それから暫くして、二人の息が落ち着いた頃。
美鈴は自分の腕の中で、照れたような、たどたどしい咲夜の声を聞いた。
「あのね、私……いつも美鈴にしてもらってばかりで」
「はい」
普段とは違う、外見相応の少女らしい言葉遣い。
甘えるようなそれに、自然と美鈴の顔が綻ぶ。
「可愛いって言ってくれるのは嬉しいけど、それだけじゃ嫌なのよ」
朱色に染まった頬を隠すようにして、それでも瞳は美鈴の姿を映している。
「私からも、してあげたい……」
「それで、練習を?」
「――うん」
こんどこそ、咲夜は真っ赤に染まった顔を完全に隠してしまった。
そんな姿を目の前にして、美鈴は思う。
この人は本当に、どうしようもなく――
「かわいいですねぇ、もう!」
少し膨れた咲夜の顔を見ながら、美鈴は深く深く、笑みを浮かべる。
そして、練習は二人でしましょうとだけ、小さく囁いた。
■
「キスの上達を目指そうと思うのよ」
ティーカップを受け皿に置いて、レミリアは溜息と共に言葉を溢した。
その言葉に、茶会の場となっている図書館の主、パチュリーが微かに視線を上げる。
またもや地下から抜け出したフランドールは、ちゃっかりと姉の茶菓子をくすねていた。
門に出向いている咲夜の代わりに給仕をしていた小悪魔が、曖昧に笑ってみせた。
「私が教えてあげようか?」
「――だ、駄目よ!」
フランドールの笑顔の奥にある犬歯を見て、レミリアは動揺し、声を上げた。
逞しい想像力の恩恵か、唇の上には既に紅いラインが滲み始めている。
何と言おうと、妹大好きなのである。
「姉妹でキスなんてそんな……でも背に腹は変えられないって言うし」
そして、道徳も意志力も薄いレミリアである。
妄想に比例して流れ出る血液が、なんとも痛ましい。
最早レミリアの心中はフランドールのことでいっぱいである。
「仕方が無――」
「そう仰ると思って、実は既に用意してあるのです!」
威厳低下の限界値が近くなった頃、レミリアの声を遮って小悪魔が手を上げた。
誰かが溢した舌打ちには、誰も気付いた素振りを見せようとしない。
「こちらはパチュリー様が召喚した、接吻に長けた悪魔です」
「詳しく言うなら口づけによって人間を誑かす悪魔ね、キスデーモンと言ったところかしら」
パチュリーの補足に続き、小悪魔の拍手によって、それは姿を表した。
言うなれば、それは唇だった。
接吻に長けているというのも、その姿を見れば納得できる。
人間とほぼ変わらぬシルエットに、唇以外には何も存在しない。
コミックのような、分厚い唇を持つ悪魔がそこにいた。
「さあレミィ、特訓よ」
「……命令ヲ、マスター」
「手取り口取りですねー」
不気味なキスデーモンが眼前に来るまで、レミリアは動くことができなかった。
あまりの事態に、身体が混乱する意識についていけなかったのである。
しかし、何処か心の奥底に眠る本能が、今になってレミリアを衝き動かす。
「だめよお姉様、特訓なのに逃げたりしちゃ」
それでも、その抵抗は遅すぎた。
背後に感じる妹の温もりが、今は嬉しくない。
息がかかるほど近くなった、顔面の半分はある唇を見上げて、レミリアは小さく呟いた。
――アーメン。
「やぁああぁぁああぁっ!!」
了
■作者からのメッセージ
かぜがなおんなーい。兎です。
纏った時間ができたので一気に書いてみました。
超KENZEN黒歴史シリーズです。
流石にやりすぎた感じが否めません。
次回で紅魔館黒歴史は完結。めいりんキッスですね。
こちらはたぶん、ほのぼのとしているはず。
咲夜さん乙女すぎ。
レミリア様オチ要員すぎ。
このような拙作をお読み頂き、ありがとうございました。
よろしければ次回も、よろしくお願いします。
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