“みるくキッス。”

作:眼帯兎






 月の居ない夜。  太陽が隠れてしまった夜。  星だけが瞬く夜。  二人の妖精が寝静まった夜。  不意に訪れた夢の終わりに、私は薄く瞳を開いた。  ぼんやりとした視界の端には金色だけがはっきりと映っている。  紅茶に砂糖が溶けるくらいの間それを見つめると、白濁とした意識は自然と思い悩んだ。  目の前にあるのは金糸に似た色の髪。  自分たちの中で、その髪色を持つのは二人。  はて、これはどちらのものなのだろうか。  答えはすぐに出た。  自分こそが金色の髪を持つ二人のうちの一人なのだから、相手は必然的に―― 「――ルナ?」  言葉と同時に、金色が降りてくる。  白い肌が視界を覆った頃、私の唇は誰かの体温を受け取っていた。  そして、一を数える間もなく、それは遠ざかっていく。  見えないくらいに、小さくて優しいキスだった。  薄く開いた瞳には、走り去る誰かが映っていた。  それは果たして夢か現か。  どちらでも同じだと、頭の中で眠たそうな自分が声をあげる。  だから、眠たい瞳を虚空に彷徨わせつつ、心地の良い温もりを抱いて、 「……すぅ」  睡魔を一身に受け入れた。   ■  夢だったらいいな、とサニーは虚ろな瞳で虚空を眺めていた。 「あー……」  言葉と共に、昨夜の小さなキスを思い出す。  どんなに夢へと押し込めようとしても、確かに昨夜の出来事は現実としてそこにある。  何度目かの溜息と共に、サニーの頬は更に赤く染まっていった。  小さな唇に指を添えれば、今もルナの温もりを思い出すことができる。  柔らかかった、ほのかに甘い香りもした、想像していたのとは少しだけ違った。  サニーの想像では、もっと夜のような香りがするはずだったのだが。 「違う違う、そうじゃなくて、初めてのキスがよ」  一人呟いて、サニーは布団の中で足をパタパタと暴れさせる。  そして、不意に浮かんだ妙な想像を振り払うように頭を振りながら、サニーは勢い良くベッドから飛び降りた。  夢か現か、本当にそれはルナだったのか。  もしかしたら、寝ぼけた自分が勘違いしているのではないのか。  考えつつも、サニーは実感を得ないまま扉へと手をかけた。 「サニー……、起きなさい、朝よ」  同時に、扉の向こう側から押し開けられる力を感じた。 「「あ」」  目と鼻の先に、先ほどまで頭の中に浮かんでいた顔があった。  金糸のような髪がそこにある。  小さくて、恐らくは柔らかくて暖かい唇がそこにある。  夜の匂いを引き連れた、静かな微笑の似合う姿がそこにある。  ルナ・チャイルドがそこに居る。  互いに、言葉が出ないようだった。  瞳が覗き込めるほど近くにあって、サニーは暫く朝の挨拶さえ忘れていた。  おはようの一言が出ないのはルナも同じようで、鼻がぶつかりそうなほど近い距離で呆然と立ち尽くしている。  どれくらいの時間が経ったのか、先に動いたのはルナだった。 「朝食よ、遅れないでね」  言葉の途中にはもう背中を見せながら、ルナは一目散に駆け出していった。  まるで昨夜、キスをしたときのような近さだったから。  ようやく冷ました筈の頬は当然、再び熱く火照っていた。   ■  スターを間に挟んでの朝食。  サニーはルナを盗み見ながら、抱いていた疑問を膨らませる。  昨夜、寝室に入ってキスをしたのは間違いなくルナ――のはずなのだ。 「ルナ、昨日は月も出てなかったみたいだけど……よく眠れたかしら?」  だから、言葉で突っついてみることにした。  同時に、返された反応は一目瞭然の黒。  真っ赤に染まった頬を揺らして、言葉にならない声で何かもにょもにょと言っているのだ。 「だから、その……寝てた、わよ?」  同時に、こちらを訝しむような瞳で見つめてくる。  こちらが探りを入れていることに気づいたのだろう。 「なんだか体調が悪いみたい」  ルナは早口でまくし立てて、カップに残ったコーヒーを呷った。  そして、頬を朱色に染めたまま、リビングから出て行く。  だから、やっぱり本当に、昨夜の人影は―― 「サニー、あなたも具合が良くないんじゃない?」  不意に、隣に座っていたスターが初めて口を開いた。 「顔が真っ赤よ」 「そう? 熱でもあるのかしらね」  気づけば確かに、サニーは自分の頬に僅かな熱が帯びるの感じていた。  恐らくは、スターの言うとおり、サニーの頬は朱色に染まっているのだろう。  曇っているし、部屋で横になるとだけ言って、サニーはリビングを後にした。  お大事に、とこぼしたスターの微笑が少しだけ気になったが、サニーは赤い頬を押さえて私室に逃げ込むのが精一杯だった。 「……やっぱり、ルナなのかしら」  だとしたら、何故あんなことをしたのだろう。  思いながら、サニーはベッドの上で大の字を描きながら呆然と天井を見上げていた。  悪戯にしては、あまりにも意味が無い。  考えられる理由としては、考えるだけで恥かしいのだけれど、 「キス、したかったから? ……私と?」  下りてきた白い肌と、重なった柔らかい唇が脳裏を過ぎる。  喉元から熱がこみ上げてくるのを感じながら、サニーは思わず顔を覆った。 「……分からない」  呟いて、最終的にサニーが出した結論は、確かめれば話は早いという至極単純な解であった。  そして、目覚めたのは夜も深く、二人の妖精が寝静まっている筈の時刻。  サニーはベッドから静かに抜け出して、耳を済ませていた。  長い廊下に一つだけある窓から差し込む月明かりの中、サニーはゆっくりと足を進める。  そして、目の前には小さな扉とルナ・チャイルドと書かれたプレートがひとつ。 「何をしているのかしら、私は」  溶け合う闇と静寂に、サニーの嘆息がこぼれる。  もうどれだけ立ち尽くしていたのか、確証も無い出来事の為に自分はなんと無駄なことをしているのだろうか。  それでも、ここまで来たらもう引き返すことはできなくて、サニーは音を立てないように扉を開いた。  静かな部屋に小さく音が響く、細い月が照らす部屋の中をサニーは進んでいく。  そして、小さな膨らみが横たわるベッドを見下ろせる位置まで足を運んで、 「…………サニー?」  自分の名を呼ぶ声に、サニーはピタリ、と足を止めた。  金糸のような髪を揺らしながら、布団の中から怯えるようにルナがこちらを見上げている。  目が合うと同時に、サニーはようやく小さな声を喉の奥から鳴らした。  静寂の中に声が吸い込まれて消えていく。  トクン、トクンと、どちらかの心臓が、ゆっくりと高鳴っていく。  待っていたのだろうか。  思っていると、目の前ではルナがゆっくりと瞳を閉じていた。  不意に、サニーの指先がルナへと伸びて、気づく。  この手を伸ばして、自分は何をしようとしたのだろうか、と。  恐らくは、奪おうと思ったのだろう。  無防備に、受け入れるように、差し出された小さな唇を。  耳が痛くなるほどの沈黙の末、サニーは言葉もなく逃げ出していた   ■  朝が来て、今日は扉の前にすら行けなくて、サニーは一日を私室で過ごしていた。  ルナとは一言も言葉を交わしていない。  そもそも、顔さえも見ていなかった。 「……本当に、ルナだったのね」  ベッドの上で頬杖をつきながら、サニーは呆然と呟いた。  指先を自分の唇に添えて、そっとなぞる。  脳裏には、目の前で瞳を閉じたルナの姿。 「一昨日の夜も、勘違いじゃない」  指先を一度離して、再び下唇に添える。  ふにふに、と何かを思い出すように、サニーは何度も指先を唇に押し当てていた。  自分が何を想っているのか、もはやサニー自身も理解できずにいる。  いや、最初から答えはあったはずなのだが、分からなかった。  だから、それを確かめる為に、サニーは再び二人の妖精が寝静まる夜に部屋を出た。 ――そして、気づけば瞳が覗き込めるほど近くに、彼女が居た。  三人の私室から伸びる廊下が交わる場所。  金糸のような髪がそこにある。  小さくて、柔らかくて暖かかった唇がそこにある。  夜の匂いを引き連れた、静かな微笑の似合う姿がそこにある。  ルナ・チャイルドがそこに居る。  階段の前にある踊り場で、二人は時を同じくして出会った。  目の前には驚いたような顔があった。  恐らく、サニー自身も同じ様な表情を浮かべているのだろう。  どちらにも言葉はなく、互いを気にしながら、 「「――あ」」  言葉が重なって、更に静寂は深まっていく。  サニーは手持ち無沙汰な手を後ろに組みながら、虚空に視線を滑らせる。  目の前では子供っぽくスカートの端を握って、上気した頬に朱を交えたルナが瞳を覗き込んでいた。  どちらにも言葉はなく、唇を気にしながら、 ――ちゅ。  小さな唇が重なって、更に朱は深まっていく。  いつの間にか、サニーの指先はルナのそれに絡み合い、繋がっていた。  そして、唇が離れた後も、その手が離されることはない。  どちらかが強く手を握って、どちらともなく瞼をおろして、再び唇を重ねた。  月の居ない夜。  太陽が隠れてしまった夜。  星だけが瞬く夜。  二人の妖精が寝静まっているはずの夜。  その日から、夜中の逢瀬は始まった。


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