“その日、世界が終わるなら。”
作:眼帯兎
博麗霊夢が死んだ。
息が無かった、鼓動も無かった。
その骸に懐かしい姿の原形は無かった。
大きな岩の下敷きになった、それだけで博麗霊夢は死に絶えた。
血だけが止め処なく流れていった。
それと同時に、博麗結界も消滅してしまった。
それは、幻想郷の消滅をも意味していた。
その日、幻想が死んでいった。
◇
最初に感じたのは、優しい温もりをもった風。
全てを包み込んで持っていってしまうような、残酷な風だった。
それが吹き抜けると同時に、目の前で微笑んでいた大妖精は消え去った。
別れの言葉もなかった。
悲しむ暇もなかった。
次の瞬間、氷精の身体もまた、消えていたのだから。
かくれんぼをしていた。
いつまで経っても、仲の良い妖怪達は見つからなかった。
一つ目の風が吹く。一番最初に見つかるはずの、闇の少女が消え去った。
二つ目の風が吹く。儚さを知る蛍が何の未練も無く消え去った。
三つ目の風が吹く。あくびをしていた黒猫が何も知らずに消え去った。
見つかる筈もなかった。
鬼役である夜雀さえ、最初の風に連れ去られていたのだから。
妖精たちも消えていく。
いつも一緒だった三匹も消えていく。
必要だったから傍にいた、一人じゃ弱いから傍にいた。
それでも、いなくなったら寂しいだろうから。
最初の風に、仲良く三匹一緒に乗った。
寂しささえも消え去った。
紅の館の主もまた、消えかかった身体で従者と相対していた。
お気に入りの従者は酷い顔をして主を見ている。
その表情は最後まで瀟洒に、瞳から涙を溢しながらも嗚咽さえ溢さない。
「咲夜、人間は使えないものだと思ってたけど、貴方はなかなかに使えたわよ」
「……お嬢様」
「再就職もメイドが似合ってるんじゃないかしら」
「残念ですが、私は相応しい主人にしか仕えない主義ですので」
震えすらない綺麗な声に、主は薄く笑みを溢した。
「あぁ、それじゃあメイドはもう無理ね」
「そうですわね」
最後に従者は泣きながら、とびきりの微笑を見せてくれた。
こんな最後ならば悪くない。
思いながら、主は最高の主人として微笑んで、風と共に消え去った。
主の居ない部屋の中、ハタキの音が小さく漏れ聞こえる。
人の寿命が終わる月日が流れるまで、その音が止むことは無いだろう。
暗い図書館で、三つの影が本を読んでいる。
会話も無い、いつも通りの風景だった。
その中で、人間である魔法使いが溜息を吐く。
「最後もこんなかよ」
呟く声に、二人の魔女の顔が魔法使いへと向いた。
珍しいこともあるものだと、魔法使いは言い出したにもかかわらず驚いていた。
「このほうが……私達らしいでしょ」
「最後まで知識の探求。魔に携わったものの基本じゃない」
「……そうだけどさ」
魔法使いとして、それはあたりまえのことだった。
それでも引っかかる違和感。それに、魔法使いは気がついている。
少女として、それは普通のことではなかったのだ。
「幻想が消えるなら魔法も消えるだろ? 私はもう生きる術を亡くしたぜ」
目的を失った探求者の如く、テーブルに突っ伏しながら魔法使いは呟いた。
それと同時に、魔法使いの顔を見ていた二人の魔女が合わせて微笑む。
「……なんだよ、何が可笑しい」
「だって、生きる術が無いなんて言うんだもの」
「あなた、いつも何て言ってたのかしら」
そして、声を揃えて言うのだ。
――普通の恋する少女。
純粋に二人の魔女は微笑を浮べていた。
いつもなら不快に思うであろうその顔を、魔法使いは愛おしくも思いながら見つめる。
「そうだな、私は普通だぜ」
言葉と同時に、二つの本がテーブルに落ちた。
そこにはもう、普通の少女しかいない。
紅の館の地下で、消える身体に怯える少女がいた。
思えば最初から最後まで少女は一人で、消える時さえ一人だった。
狂っていたから、一人で消えるのは必然だったのだろうか。
「……一人は嫌だよ。お姉様」
身体にはもう力が入らない。
全てを壊す手も動かない。
最後の時を、少女は一人迎えようとしていた。
その身体が消え去る瞬間、扉が開く。
何だか見覚えのある遊び相手。
紅の館の門番の、大きく優しい手が少女を抱きしめていた。
「大丈夫ですよ」
「……めい、りん?」
「妹様は、一人ではありません」
「本当?」
「えぇ、お嬢様は動けないだけです。ですから、私が代わりに」
「めいりんは、私なんかと消えていいの?」
抱きしめられた少女は震えながら、優しい手を動かぬ筈の手で掴む。
怯える少女を、門番は微笑みながら撫でてやった。
「もちろん。私も、妹様が大好きなのですから」
少女は孤独から解き放たれて、その身体を消していく。
そして、紅い部屋には誰もいなくなった。
「あぁ、れいせんちゃんは消えないみたいね」
「……うん」
「よかった、れいせんちゃんが消えるところなんて見たくなかったから」
目の前で真っ白な兎が微笑んでいた。
まるで妹のような存在が、消えかかりながら微笑んでいた。
それを、月の兎が微笑を返しながら見つめている。
「悪戯ばっかりしてごめんね」
「うん」
「構ってほしかったの、大好きだったから」
「……うん」
「大好きだから、泣かないで?」
涙が零れている、月の兎の瞳から、白い兎の瞳から。
止め処なく、涙が流れている。
「最後のお願い、いいかな?」
「何かな」
「ぎゅってして……ほしいの」
月の兎は一つ頷いて、その小さな身体を腕に包んだ。
小さな手が背中に回って、儚い力が込められると同時に白い兎の身体は消えていく。
涙と共に、人参形のペンダントが地に落ちた。
「よく耐えたわね」
「……師匠」
振り向く先には薬師がいる。
いつもの優しい微笑で、月の兎へと視線を向けている。
「尻尾が消えかかってるわ」
「あは、師匠は何でもお見通しですね」
涙で濡れた瞳を擦り、月の兎は拙い笑顔を浮べる。
ちゃんと笑えているか、月の兎には分からない。
それでも薬師も笑みを返したから、笑えているのだろう。
「ウドンゲ、貴方にはまだ教えたいことがたくさんあったのだけど」
「すみません」
「でも、頑張ったから御褒美をあげなくちゃ」
額に柔らかい感触を感じて、薬師の顔を目の前にした瞳が見開かれる。
「えへへ、うれしいな……」
最後に薬師が泣いてくれたように思えて、今度こそしっかり笑えたと、確信しながら月の兎は消えていく。
誰かの涙が、長い廊下に二つ零れた。
「永琳、ようやく罪が終わったわ」
「そうですね」
薬師の目の前に、永遠の罪を嘆いていた姫が立っている。
その表情はやけに不機嫌で、つまらなそうなものだった。
「私の最後はあの子の手によって償われると思ってたのに、なんだか興が削がれてしまったわね」
「あらあら」
「ねぇ、永琳」
「はい」
「――最後まで、有難う」
「……はい」
珍しく照れた顔で、姫が目線を逸らしている。
それがやけに可笑しくて、クスクスと零れる笑みが止まらない。
「笑うんじゃないわよ。最後だから言うけど、永琳のそういうところは嫌いだったわ」
「あら、姫ったらそんなこといいながら笑ってますわ」
「煩いわね。もういいわ、妹紅のところに行ってくる」
不機嫌そうな顔に微笑を浮べて、姫は後ろ手に手を振って歩いていく。
その後姿は、昔の姿とは比べられぬほどに生が溢れていて。
「いってらっしゃい」
もう帰ってこないだろうと知りながら、薬師は笑顔で姫を送り出せた。
「まったく、勝手に守っといて勝手に消えるのか」
「……そうみたいだな」
目の前では、唯一の友人が薄く笑っていた。
蓬莱人はそれを眺めながら、大きく溜息を吐いてみせる。
「責任を持てとか五月蝿かったお前が、消えるなんてな」
「そう言うな、私だって不本意ではある」
「……馬鹿」
八つ当たりであることは分かっている。
それでも、そうでもしないと耐えられそうにはなかったのだ。
幾度も体験した別れの一つに過ぎない筈なのに、いつの間にかこんなに依存してしまった。
「妹紅、自分の身体を大切にしろ」
「……最後まで説教か、聞き飽きたよ」
「蓬莱の薬も幻想と共に消えていくだろう、だから……」
「……ようやく死ねるな」
溢した呟きに、白沢の視線が鋭くなる。
蓬莱人はそれを受け止めながらも微笑をうかべた。
「大丈夫、長く生き過ぎたんだ。人間一人分の時間くらい生きていける」
「……そうか」
実を言うと、蓬莱人にはそんな自信は無い。
ただ、目の前の友人を安心させる為の虚言のようなものだったのだ。
それでも、白沢は本当に安らかな表情で頷いた。
「里を頼む」
「妖怪は消えるのに、何から守れっていうのさ」
「あぁ、それもそうだな」
最後まで大ボケをやらかして、白沢は音も無く消え去る。
狭い庵が、一人分の隙間をやけに広く感じさせて、蓬莱人の心を締め付けた。
蓬莱人は独り、唇から真っ赤な肉片を溢して息を引き取った。
それを眺めながら、戸を開けた姫が一人涙を流している。
そして、蓬莱人の亡骸の上に重なりながら、姫もまた息を引き取った。
蓬莱の骸が甦ることは、恐らく二度とないだろう。
魂を裁く彼岸の果てに、死神と閻魔が相対していた。
前者は達観したような悲しい瞳で、後者は普段と変わらぬ瞳で。
「ここが消えたら、魂たちはどうなるんでしょうね」
「特に変わることはないわ。罪を償う時期が長くなるだけで転生の摂理は何も変わらない」
「映姫様、もうこんなことに意味はないのでは?」
「意味はありますよ、小町」
そっと、閻魔は人魂たちの方を示して微笑んで見せた。
最近怠けていたせいで、彼岸を渡れていない魂を死神は遠目に見る。
「私達はけして無駄ではありません。彼らの罪を認めさせる、そして転生後に罪を残さないように働いてきたのです」
それならば最後のときまで、できる限りを救いたいと閻魔は言った。
死神はもう、何も思うことは無い。
「それなら、この小野塚小町。最後の本気を見せてやりましょう」
憧れた上司の想いを背負い、死神は船へと足をかける。
死者が河を渡る速度はそれぞれの質によって違う。
しかし、小町は巧みな話術でそれを善い方へと導き河を短くする。
その速度は紛れも無く、距離を操る死神の全力だった。
分を数えずに戻ってきた死神を、閻魔は優しい瞳で見つめている。
「小町、あなたはそんな力がありながら今まで怠けていたのですね……」
「――え?」
こぶをこさえた死神が河を渡る。
錫を構えた閻魔が優しい裁判を進めていく。
彼岸に集まった魂が消えると同時。三途の河さえ消え去った。
冥界の幽かな死の香りに包まれて、亡霊と剣士が茶を飲み交わしていた。
「お茶が美味しいわ」
「そうですね」
亡霊はただ陽気に、剣士はやや沈んだ様子で。
二人そろって縁側に座りながら、何をするでもなく空を眺めている。
「ここは、どうなるのでしょうか」
「消えるでしょうね」
剣士の呟きに、亡霊は考える様子もなく答えた。
剣士は、できることなら否定してほしかったのかもしれない。
「妖夢、いままでありがとう」
「幽々子様」
「あなたは、まぁ良い従者だったわ」
「まぁ……ですか」
「未熟だもの。……それでも」
「それでも?」
「私にとって、大切な存在ではあった」
亡霊が剣士へと微笑む。
その瞬間に、風が一つ吹いて。冥界ごと二人は消え去った。
「紫様、隙間を操れば貴方だけでも助かります。早く!」
「うるさいわねぇ……」
迷い家の喧騒はいつもよりも大きく。
狐は八雲の妖に怒鳴りつけながらも懇願している。
「幻想郷が終わるなら、私もまた終わるときなのよ」
「そんな……」
「それにね、可愛い式を残していくのも心残りじゃない」
八雲の妖が呟くと同時に、狐の顔が朱に染まる。
同時に、その瞳には涙が浮かんでいた。
「いつも構ってくれないくせに、こんなときは優しいですね」
「普通、こんなときだから優しいのよ」
八雲の妖が手招きをする、狐は素直にそれに従う。
指差された膝の上、狐は頭を預けながらゆっくりと目を閉じた。
「消滅は一時のもの。それなら、今はこうしているのも悪くないでしょう?」
「……そうですね。少しの間、懐かしい気持ちで」
呟き、消える。
迷い家という幻想が消えていく。
「霊夢……」
鬼は一人、もう動かない博麗を棺へと下ろす。
その姿を、未だに信じられないまま鬼は棺を閉じた。
「鬼だけじゃない、今度は皆消えてしまう。」
鬼の目の前には墓石がある。
その中に、博麗を入れるのは躊躇われた。
「忘れられるのは哀しいから。消えたとしても霊夢のことは忘れないよ」
背後に聞こえた足音に、鬼は口元を笑みに歪める。
一番辛い作業は、彼女の一番の友人に譲るとしよう。
そんなことを思いながら、再び鬼は消えていった。
最後に目にしたのは、家族と呼んでくれた者の住まい
それはきっと、萃香の家でもあった筈だ。
今度は、もう戻ってくることすら叶わない。
幻想郷は今、死に絶えた。
◇
「幻想は消えたはずなのに……妙なものが飛んでるぜ」
呟きながら、墓石を見つめて普通の少女は手を合わせる。
中には博麗の巫女の骸が埋葬されている。
「魔法がまだあったなら火葬にしてやったが、もう反応しないんだ」
動かない八掛炉を境内に落として、魔理沙は墓石に背を向けた。
赤くなった瞳はもう乾いている。
「妖怪はもう、誰もいない。香霖も何故か消えてしまった」
それでも、一人になっても普通の少女は死を選ばなかった。
着込んだ服は着慣れた黒のローブではなく、普通の民族的な衣服で。
その姿に、恋の魔法使いの姿は重ならない。
「霊夢、お前が死ぬなんて信じられないぜ」
空には奇妙なものが飛んでいた。
羽ばたかない鳥のような、違和感をもった濁った白の飛行生物。
空気は濁っていた、川の水は不味くて飲めたものじゃない。
幻想は跡形も無く死んでいたのだ。
「――あ?」
瞬間、ただひたすらに優しい風が誰もいない幻想郷を吹きぬける。
今の世界にとっては、里の人間さえも幻想となっていたのだ。
普通の少女でさえ、それは例外ではない。
古めかしい建物は光の粒子に包まれて、音も無く消え去っていく。
全てが消えた土地は、開拓されていないただの森林地帯と呼ばれる場所だった。
そこにはもう誰もいない。
その日、幻想郷は終りを迎えた。
了
■作者からのメッセージ
博麗が死ねば幻想郷も死ぬ。
何故かそんなフレーズが浮かんだので形にしてみたらえらい微妙だった。
ころんでもなかない。 2点
一度でいいからこういう小ネタ集めのようなものを書いてみたかった。そんな実験作です。
なんの因果か、オチのすり替え版が存在します
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