“黒猫が憧れたモノ”作:眼帯兎八雲の妖が住む迷い家。 平穏という言葉がこれほどまでに似合う場所もないだろう。それは“家主”が寝ている間だけではあるが。春も近づき、暖かな陽気に包まれ始めたマヨヒガは平和なものだった。 家主は寝静まりその式も雑用で外を飛び回っている今、この家は一匹の黒猫の天下である。 黒猫は常日頃から戸棚の奥に隠された飲み物に好奇心を覚えていた。黒猫の主である狐が毎夜口をつけ、狐の主である八雲の妖は偶に目覚めてはそれを昼にも口にする。好奇心を抑えられず黒猫がねだってみても、狐はもう少し大きくなったらと苦笑交じりに言うのだ。主の狐の言葉に今までは抑えていたが、昨夜狐がそれを戸棚に隠すのを見つけて興味は抑えがたいものになった。 「少しならわからないよね?ちゃんと元に戻せばいいし」 古い瓢箪を戸棚の奥から探り当てると、黒猫は誰に言うでもなく僅かな罪悪感を振り払うための言葉を口にした。自分がこんなことをしていると知ったら狐はどう思うのか、それを考えると、こうでも言わなければ心に沸いたその感情を拭えなかったからだ。 黒猫が瓢箪の栓を抜くとポンッ!と気味の良い音が鳴り、同時に酒気を含んだ香りが辺りを包みこむ。その独特の香りに頭が揺れるような感覚を覚えつつ、黒猫は透明なグラスを取り出して“ソレ”をゆっくりと注いだ。 傍から見ればまるで水のように見えるその液体に、黒猫は心を躍らせた。大人にしか許されぬというその水はどのような味がするのだろうか、またどのような口当たりなのか。そんな想像をする度に黒猫は恍惚とした表情を浮かべる。そんな大人という存在への憧れを胸に、黒猫はグラスへと手を伸ばし――突如聞こえた声に遮られた。 「ちぇんー……橙、いないの?」 勝手口から聞こえた自分を呼ぶ声に危うくグラスを落としかける。疚しい気持ちがあった為か、尻尾を逆立てて驚いてしまった。 黒い毛を整えつつ勝手口の戸を開くと、そこには蛍の少女が立っていた。蛍は黒猫の姿を見ると笑顔を浮かべて口を開く。 「なんだ、居るじゃない、遊びに来たよー」 「リグルに……皆、いらっしゃい」 「ミスティアとルーミアも居るけど、家に上がっても平気かな?」 「大丈夫だよー、紫さまは寝てるから。上がってー」 来訪者の誘いに黒猫は微笑みながら、家へと招き入れた。来客者の少ないマヨヒガに訪れる友人はとても貴重なものなのだ。 居間へと続く長めの廊下を先導する途中、黒猫はふと思いついた疑問を口にした。 「チルノちゃん今日はいないの?」 「あぁ、Hは……ちょっとね」 いつもはこの場に居るメンバーに加えて少しお馬鹿な氷の妖精と保護者役の冬の妖が加わるのだが、今日はその姿が無い。何気なく漏らした質問に答えにくそうに蛍が押し黙った、心なしか顔を赤らめ、気まずそうにもじもじとしている。そんな蛍の挙動の真意が読めず、黒猫は言葉が続くのを待つ。 「バカ妖精はレティと一緒に恋の炎で溶けているの〜♪ 物理的に〜♪」 「変なこと言うなよ……物理的とか嘘だし」 「物理的ってなんだー?」 歌うように――もとい、歌いながら夜雀が言うと、蛍は照れと呆れを交えたような表情で補足した。その隣では不穏な言葉の意味を理解できず、闇の少女が首をかしげる。 「そっか、チルノちゃんはレティさんと――はぅ……」 氷の妖精と冬の妖――二人の友人の逢引を思い浮かべると、黒猫は湯気が昇っているのではないかと思うほどに顔が熱くなるのを感じた。 「まぁ……そんなところよ」 そう言うと蛍は気まずい雰囲気を払うように咳払いをして、いつの間にか止まっていた足を再び居間へと向け進めた。その後ろで、夜雀は初心にも顔を赤らめる二人に忍び笑いを溢し、先程から頭をひねり続ける闇の少女に耳打ちしてやるのだった。 ◇ ◆ ◇ 「……橙ちゃんまだ炬燵出したままだね、もう春だよ」 居間に着いて最初に目に映ったものが炬燵だった。蛍の指摘に黒猫は苦笑いを浮かべていまだ惰眠を貪る八雲の妖を思い浮かべる。 「紫さまが藍さまを泣かせながら言ったから……たぶんまだ出し続けると思うよ……」 炬燵を片付ける狐を泣きながら止める主の主、そんな主の説得を無視して片付けを進める狐は八雲の妖の実力行使によって泣きながらそれを認めたのだ。それを目の前にしたときはとても複雑だった。 狐の情けない姿を思い出して落ち込む黒猫に何も言えず、皆して黙ってしまう。そんな重い雰囲気を変えようとしたのか、蛍は何か話題はないかと辺りを見回した。 「橙ちゃん。その瓢箪はなにかなー……なんて」 「あ、それはお酒だよー」 黒猫は思い出したように言う、先程声が聞こえてからすぐに勝手口へ向かった為そのままにしていたのだった。お酒という言葉に皆は興味津々といった感じで瓢箪に見入った。 「橙ちゃんお酒飲むの?」 「お酒って美味しいのかー?」 まるで自分より大人になった友達に憧れを抱くような目をして蛍と闇の少女の二人が尋ねる。 「ううん、さっき初めて……飲もうとしてたの」 炬燵に乗りだした二人に驚きながら黒猫が言う。蛍と闇の少女は首を引っ込めながらそーなのかーと口を合わせた。 「止めた方がいいわよ、お酒なんて大して美味しいものじゃないもの」 そんな様子を見てつまらなそうに夜雀が呟くと、黒猫達は驚きながら夜雀の方へと向き直った。 「ミスティアお酒飲んだことあるの!?」 「うん、屋台のお客さんがよく進めてくるから時々ね……飲むと頭がぐるぐるして歌えなくなっちゃうのよね」 夜雀が言う感想に、三人の意識はお酒へと向いているようだった。黒猫も先程の好奇心が抑えきれなくなるのを感じる。酒を知らない三人は好奇の目で瓢箪を見つめ、誰かがきっかけとなることを言うのを待っていた。 「ちょっと試してみない? どんな味なのか……さ」 「そ、そうだね、ちょっとだけ飲んでみようか」 沈黙を破ったのは蛍だった、もちろん黒猫もその提案に同意して言葉を続ける。それに興味深々といった感じの闇の少女はコクコクと頷いて同意を示す。 黒猫は台所からグラスを二つ持ってくると、元からあったグラスの中身を三等分にする。夜雀は遠慮したので三人分だ。 「それじゃあ、皆で一緒に飲もうね」 「赤信号も皆で渡れば怖くないー♪伝染病はみんなかかって地獄絵図ー♪」 「ミスティア、あんたの歌は不吉だからやめなさい……とにかく、行くわよ――いっせいのっせーで!」 蛍の合図で三人合わせてグラスを傾ける。以前から憧れ続けていたものに期待を膨らませて。 ――見事に噴出した。 ◇ ◆ ◇ 「にゃー……」 「にがっ! からっ! ……というより痛い!」 「うー……美味しくないー」 「……だから止めた方がいいって言ったのに」 小さなグラス半分ほど酒の味に三人とも顔を歪めている。やはりまだお子様の舌と言うことだろうか、数分も経つと三人は早くも顔を赤らめていた。そんな三人に呆れながらも、夜雀は冷たい水でも用意してやろうと腰を上げようとする。 そんな夜雀に闇の少女が顔を赤らめながらフラフラと向かってきた。夜雀が何事かとその姿を見上げていると、闇の少女は目の前でぺたんと座りこむとじっと夜雀を見つめてきた。 「頭がぐるぐるするーみすちー」 闇の少女の顔が近くなったせいか、夜雀はなんとなく恥ずかしくなって少女から視線を逸らした。 「ど、どうしたのよ、ルーミア大丈夫?」 「おなかすいたなー……ねぇ、みすちーは食べていい鳥類?」 瞬間、夜雀は時が止まったかのように感じた。ドキドキと鼓動を早めていた心臓は止まりかけ、照れは恐怖へと変り、赤く染まった顔は青く染まっていった。夜雀は知っている、酔っ払った人妖は本気でおかしなことを実行するということを。 闇の少女は据わった瞳で夜雀を見つめると、じゅるりと喉を鳴らした。やけに生々しい音だと夜雀は思う。いつもは少し食いしん坊なだけの可愛い少女もこうなっては恐怖の対称にしか成り得ない。 「まってルーミア、 私は美味しくないよ! 小骨も多いしさ!」 「うぅん大丈夫、みすちーはきっと美味しいよー」 「聞く耳持たないの? 橙ちゃん助けて!」 酔っ払い特有の聞き分けのなさを発揮する闇の少女に絶叫を上げて、夜雀は黒猫へ助けを求めた。 「あははーぐるぐるするにゃー、ミスティアちゃんがんばれー」 「橙ちゃん? 駄目だこいつ!」 笑い上戸なのか、顔を真っ赤にした黒猫は目を回してにゃあにゃあと笑っていた。酔っていると分かっていても思いやりのある少女の図がガラガラと崩れていくのと止めることが出来ない。 「リグルー助けてリグルー!」 夜雀は黒猫に素早く見切りをつけると、近くでクラクラと頭を揺らす蛍の名前を叫んだ。いつも真面目に答えてくれる彼女なら大丈夫だろうと夜雀は信じる。呼ばれた蛍は頭をフラフラと揺らすと潤んだ瞳を夜雀へと向けた。 「ミスティアはルーミアと仲良いね?」 そんなことを呟き、蛍は顔を赤らめながら涙を溜めた目で睨んできた。とりあえず助けてほしいと夜雀は思うのだが、蛍の普通でない様子に口を挟めず呆然とする。 「え、リグル?」 「ずるいなぁルーミアばっかり、うんずるい……ずるいよ」 夜雀が小さく声をかけても、蛍は俯きながら何度も同じことをブツブツと呟き続けた。奇妙な酔い方に気味悪さを覚え始めると、蛍の言葉が途切れて再びこちらへと目を向けた。 「ミスティアは私のこと好きかな?」 「好きだけど……リグル、どうしたの?」 よく分からない質問をしてくる、酔っ払いは突拍子なことを言うものだと営業で分かっているのでとりあえず素直に答えておいた。それよりもさっきから闇の少女を押えつけている手が限界なので夜雀は助けて欲しいと切に願った。 「そっか、私もミスティアが好きだよ♪」 朗らかに笑いながら言う蛍を見て体中の力が抜けていくのを感じた。どうして最初の話題を無視してこんな方向になっているのか分からない。悪いがこんな生き死にに関わる時にそんなこと言われても困るのだ。 夜雀は考えないようにしていた、頭の隅では既に気づいていたのだ。普段真面目な奴ほど酔ったときにまともでは無くなることを。そして、限界を超えた手は闇の少女を押さえきれず、暇もなく闇の少女に押し倒されてしまった。 「みすちー良い匂いだねー、クスクス……いただきまぁす」 「いやぁぁぁ! リグル助けて! いいからとりあえず助けて!」 頭上で嗤う闇の少女の据わった目に怯え、夜雀は蛍を見上げて叫んだ。もはや形振りなどに構っていられないのだ。 「ん、ルーミアがミスティア食べようとしてる……」 「え、今頃気づいたの?」 「――じゃあ私は……ミスティアに食べられたいな?」 潤んだ瞳で恥ずかしげに告げる蛍に、夜雀は何でそうなるのかと頭の中で突っ込んだ。そして、酔っ払いの行動の不可解さを目一杯恨んだ。天敵と獲物、食物連鎖の両隣に抱きつかれ、夜雀は先程自分が歌った歌を思い出して、確かに地獄絵図だなと諦めつつ笑うのだった。 ◇ ◆ ◇ 黒猫は頭がズキズキと痛むのを感じていた。 口にして苦くて辛いと感じた後の記憶がさっぱりと無くなった黒猫は、痛みの治まらない頭でやはりお酒は大人にならなければ飲んではいけないものだと文字通り痛感していた。 今、黒猫達の前には狐が座っている。夜雀は何故か隣の部屋で泣きながら寝入っている為、夜雀を除いた面々が正座をして狐のお説教に耳を向けていた。 「お前ら位の年になれば興味を持つのは分かる。だが過ぎれば身体に害を齎すものであるが故に禁止されているのだから、やはり禁を破るべきではないな」 「はい……ごめんなさい」 痛みに耐えつつ皆同時に返事を返す。両隣に座る友人も揃って顔を顰めているのを見ると、やはり二人も頭痛を覚えているのだろう。子供がお酒を飲んではいけないという戒めなのかもしれないと黒猫は思った。 「あと、あの夜雀の子に迷惑をかけたんだ。皆でちゃんと謝っておくんだぞ」 「はい……」 夜雀は酔った私達に絡まれていたところを帰還した狐に保護されていた。蛍は酔っていた時のことをしっかりと覚えているようだが、そのことに触れると何故か顔を真っ赤にしていた。夜雀の眠る部屋の襖からは絶えず啜り泣くような鳴き声が聞こえてきて黒猫達を居た堪れない気持ちにさせた。 「よし、お説教は終わりだ。もう遅いから今日は皆泊まっていきなさい」 「はい」 狐の説教が終わり、黒猫達は息をついた。狐はそれを見てクスクスと笑うと台所へ向かった。 「うー、頭痛いね」 「ガンガンってするよ……」 「きもちわるいー」 黒猫達は炬燵へ突っ伏すと口々に二日酔いの症状を伝え合う。すると目の前の空間にピシリと一筋の線が浮かんだ。何事だろうと顔を近づける蛍と闇の少女に黒猫が下がるように伝えると、線は瞬く間に面へと変貌し、リボンを結んだスキマと成った。 「おはよう橙、長い説教だったわね」 「紫さま、もう夜ですよ……見ていたんですね、お説教」 スキマから顔を覗かせる八雲の妖は寝ぼけたように言うと、黒猫の後ろで目を見開いている二人に笑顔を浮かべて手を振った。 「皆辛そうね、お薬でもあげましょうか」 八雲の妖はスキマから小さなお猪口を取り出し、透明な液体をそこへ注いだ。同時に辺りに酒気を含んだ匂いが漂い黒猫達を包み込む。まだ口に合わぬ味を思い浮かべてか、黒猫達は揃って顔を顰めた。 「紫様!今頃起きたと思えば子供達に何を飲ませようとしているんですか!」 「やぁねぇ、煩いわよ。迎い酒よ、藍は知らないの?」 主の気配に気づいてか、狐は荒々しく居間へと戻り声を上げた。その様子に八雲の妖は呆れたように目を細めて非難する。 「知ってはいますけど、そんな酒飲みの言い訳みたいなことはやめてください」 「やぁねぇ、事実に基づいた民間療法を馬鹿にしちゃいけないわよ?」 「大抵が間違っていますよ、民間療法」 「間違った方法でも気休めになるから伝わったのよ、民間療法」 「どうでもいいです! 式を扱う妖ならばもっと理に適った行動をしてくださいよ……」 先程までの威厳はどこへ行ったのか、八雲の妖に翻弄され涙さえ浮かべ始める狐を見て黒猫はやはり複雑な気持ちになった。 「紫様また酔ってますね、程々にしてくださいよ……子供達も居るんですから」 「あははは、藍は可愛いわねー」 「うぅぅぅ……」 八雲の妖はぐてりとスキマから這い出すと、笑いながらはらはらと泣き伏せる狐を撫でている。炬燵の迎いに居るにもかかわらず漂ってくる酒気に呆れながら、黒猫達は酒過ぎれば毒になるという言葉を反芻するのだった。 「……頭痛いね」 「……うん」 ― 了 ―
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