“手を繋ごう。”
作:眼帯兎
それは、くだらない何処かのホラ吹きが口にして。
愚かな人妖たちが鵜呑みにしただけの話だった。
嘘は人々の間を走るように伝わっていく。
何処かの天狗も、号外と言う名のちり紙配りに精を出しているようだった。
こうして、その嘘は幻想郷を包み込んだ。
良識のある者なら容易く嘘と見抜けるそれを、実力者達は面白そうという理由だけで信じ込む。
その内容は、なんでもない今日この日を特別なものに変えるものだった。
――親しい誰かと手を繋ぐ日
失笑してしまいそうな内容ではあったが、手を繋げなかった者には大きな傷を残しかねない。
そう、孤独な者にとっては残酷過ぎる一日が始まったのである。
◆
幻想郷を見渡せる位置に建てられた博麗神社にて、一人の巫女は呆然と空を眺めていた。
「平和……ね」
鳥居の先に見える石段には、いつも通り人影は見えない。
巫女の立つ境内に賑わいは無く、冷たい風だけが彼女の傍にいた。
そんな博麗神社から見渡せる幻想郷、その中でも一等に暗い森の先に巫女の親友は居た。
「おい、香霖!」
魔法使いの少女は今日も変わらず、淑やかとは逆ベクトルの生き方を選んでいた。
喧しく扉を開け、足音も大きく香霖堂と呼ばれる店内へと入っていく。
そして、店主である青年の前に立つと、黙って手を突き出した。
「……なんだい?」
「知らないのか?」
突き出された手を眺めて呟く店主に、少女は眉を顰めながら言う。
今日この日、親しい誰かと手を繋ぐ日と決められたことを。
「社交的とは金輪際無関係なお前のことだ、仕方が無いから……その」
「そうかい……」
顔を伏せて捲くし立てる少女の言葉を遮って、店主は呆れたように息を吐き、微笑む。
そして、唐突に手を合わせると、店主は笑みを深くしていった。
少女は先の姿からは想像できない程にしおらしく、顔を朱に染めて俯いてしまう。
店主の瞳は優しく、少女を写し続けていた。
その香霖堂から、魔法の森に入ってそう遠くない場所に、三匹の光の妖精が騒いでいた。
「……別に、手を繋ぎたいなんて思ってないわ」
「あら、そう?」
強がるように月の光が呟くと、何でもないように日の光が答える。
丸い机を挟んで対峙する二人の優劣は、誰が見ても明らかだっただろう。
「ふふ、サニーだって手を繋ぐ相手が欲しいでしょうに」
「……うるさいわ、スター」
そこに星の光がティーカップを揺らしながら加わると、三人寄った少女達は更に喧しくなる。
月の光は意地を強めて、日の光は妥協の時を見逃して、星の光はそれらを楽しむ。
「ほら、そろそろ意地を張るのはやめましょう」
「……ん」
引っ掻き回したのは宣言した星の光だったのだが、日の光は意地が邪魔して指摘することが出来なかった。
星の光の小さな手が、二つの小さな手を握る。
同時に、二人の妖精の顔少しだけ緩み、僅かな朱を交えた。
「あ、そうだ……」
「ちょっと、ルナ!」
「このまま外に出る気なの?」
化物のように大きな木を抜けて、手を繋いだ妖精たちが飛び立つ。
その先には、寄り添う二つの人影が見えた。
黒い魔法使いの少女と、白髪に眼鏡を掛けたとある店の店主である。
「香霖……」
「おや、きみかい」
「魔法使いも一緒なのね」
店主の青年が応えるが、月の光は少女と睨み合うのに夢中のようだった。
そして、月の光は小さな手で店主の指を掴むと、魔法使いに舌を出して挑発してやる。
真っ赤になった少女と、月の光が店主を挟んで言い合いをしている傍ら、つまらなそうに目を逸らした日の光は、冷たい
風が吹く湖の方に目を向けた。
「あの寒い奴は、手を繋ぐ相手なんて居るのかしら……」
妖精達の視線の先、冷たい湖に近づきたがる者は居ないのだろう。
だというのに、冷たい風の中には小さな人影があった。
透き通った氷の羽を持つ氷精は、無表情で水平線を見つめている。
彼女の隣には、誰も居ない。
元々寒い場所だというのに、冷気を振り撒く氷精の隣に座ろうとするものなど、そうは居ないのだから。
しかし、そんな希少な存在は、少なからず居る。
具体的に言うならば二人程、一人は草葉の影で必死に言葉を組み立てている大妖精。
二人目は大木の葉に隠れて、つまらなそうに視線を向ける鴉天狗であった。
そして、彼女達は同時に湖の前へと降り立つ。
「「――あ」」
声が重なり、気まずい沈黙を漂わせる。
氷精は気付かぬまま湖を眺め、背後で固まる両者を気にも留めない。
大妖精は友人として、鴉天狗はただ何となく、氷精が一人で居るのが面白くなかった。
故に、誰も現れないときには自分がその手を取ろうと思っていたのだ。
「……一緒に、行きますか?」
大妖精は怯えながらも、名も知らぬ鴉天狗に手を差し出す。
鴉天狗もまた、名も知らぬ大妖精の手を、無言のままに握った。
そして、氷精に気付かれないようにゆっくりと、近づいていく。
驚かせてやろうと思っていたのは、両者とも同じだったようである。
微笑ましい光景が広がる湖から少し離れた上空に、一際寒気の強い一帯があった。
「……出遅れてしまったわね。まぁ、冬眠までの暇潰しだもの」
季節妖怪は一人、今年最後の寒気を集めた大気の中で瞳を閉じた。
そこへ、生暖かい空気が混じり始める。
思わず開いた視線の先、手を繋ぎ合った、春を告げる妖精達が漂っていた。
「もう、春なのね……」
寒気を少しずつ温められても、季節妖怪は怒る素振を見せなかった。
それは、毎年のように循環するものであり、彼女はその中で生きているのだから。
季節妖怪は微笑みを深くすると、戯れに春の妖精の小さな手をとった。
「それじゃあ、後は任せたわ」
何故だろうか、嫌いな暖気の筈なのに、季節妖怪はその温もりを心地良く感じていた。
春も近い湖を越えた先に、紅い館は静かに建っている。
紅一色で塗られた館は、その門からも威圧感を感じさせる。
そして、そこにはいつものように、門番である妖怪が立っていた。
その光景の中、いつもと違うのは只一つ、内部で忙しなく働いているはずのメイド長が居ることだった。
「咲夜さん、お仕事は……」
「今日は特別だから誰かと手を繋いでいなさい。……ですって」
両者はぼんやりと寒空を見上げて、春の訪れをその中から感じ取っていた。
穏やかな時間が、止まることなく流れていく。
「……お嬢様は?」
「ふられてしまったわ。きっと、妹様のところでしょう」
「そうですか」
沈黙が漂い、風の流れる音だけが聞こえた。
湖から吹く冷たい風に、メイド長は僅かに身体を振るわせる。
「手を繋ぐ相手、私で良かったんですか?」
「不服?」
「いいえ、結構まんざらでもないですね」
「……私もよ」
そして、冷たい風は門を吹き抜けて、館の中へと進んでいく。
埃臭い空気に包まれて、魔法使いと魔女は相対していた。
「……まぁ、友と呼べなくもないもの」
気だるそうな魔女は椅子に腰掛けたまま、隣に立つ人形使いの手を取った。
こちらへいらっしゃいと、魔女に呼ばれた人形使いは無言で目を見開いている。
その様子が可笑しかったのか、それとも、自分の言葉を自嘲したのか、魔女は青白い顔に微笑みを貼り付けた。
「あ、あの」
「あら、友と呼ばれるのは気に障る?」
「そうじゃなくて……あそこに」
顔を朱に染めた人形使いは、ぎこちなく魔女の背後にある本棚を指差した。
その先には、寂しそうにこちらを覗き込む小悪魔の姿がある。
魔女は珍しくも、心底楽しそうにその姿を笑って見せた。
「あぁ、そういえば片方の手が空いてしまっているわ、小悪魔?」
「あ、はいぃー!」
魔女が呟き、空いた手を掲げて見せると、小悪魔はとたんに笑みを浮かべて飛んできた。
その様子を、魔女は忍び笑いを溢しながら見つめている。
人形使いは無言のまま、まだ知り得ていなかった魔女の一面に驚くばかりであった。
「さて、レミィは上手くやっているのかしらね……」
遠く響くように消えた声は、恐らくは地下にある、特別な部屋に向けられたものだった。
深い紅に囲まれた部屋の中、小さな悪魔の妹が膝を抱えていた。
闇と紅だけのそれは、常人であれば気でも狂いそうだというのに、目の前の扉に手をかけることもない。
僅かに呼吸音を響かせる彼女は、何を思う訳でもなく、宙を見つめ続けていた。
そう、彼女は知っているのである。
この扉を開くことは退屈であり、誰かの手で開かれたとき初めて、心躍るようなことが起きるのだと。
故に、彼女は待っていた。
故に、誰かは扉を開いた。
「――フラン」
膝を抱えた少女と歳はそう変わらず、まだ母親の手に抱かれていても違和感の無い姿がその名を呼ぶ。
しかし、その幼い容姿に反して、その身体からは血の香りしか感じられない。
五百年を生きた吸血鬼は少女を見下ろして、恐れを必死に隠しながらも口を開いた。
恐れは嫌われることへの恐怖を表し、震える喉は続く言葉を上手く音にできないようだ。
運命を操る程度の能力を持つ彼女は、その癖少女が自分を恨んでいるとしか思えないでいる。
情緒不安定な少女を守る為に、皮肉を溢しながら館の奥に隠してしまった吸血鬼。
少女は、そんな吸血鬼の姉が好きだった。
それでも――
「あの、ね、今日は親しい者と手を繋ぐ日なのだそうよ」
「……そう」
「だから、フラン」
きっと、少女はずっと吸血鬼に触れて欲しかった。
故に、吸血鬼が俯きながら、手を突き出してきたときには何も考えられなかった。
普段は溢れるように出てくる皮肉も、今は全てが品切れの札をかけてストライキを起こしている。
それらの要求は、まずはその手を優しく掴めとのことだった。
「どういう、つもりよ……」
皮肉どもの要求通り吸血鬼の手を掴んだというのに、少女は言葉に出来なかった。
喉から出たのは、ただの純粋な質問だ。
吸血鬼はその問いに、俯いた顔を上げて少女の瞳を覗き込みながら、告げた。
「大切な、妹だもの」
掴んだ手のひらが強く握られて、吸血鬼は真っ赤になった顔に微笑みを浮かべた。
顔を上げた吸血鬼とは対称的に、今度は少女が顔を伏せてしまう。
どうしても、少女は顔を上げていることができなかったのだ。
奇妙なことに、瞳から水が流れ出てきてしまったから。
せっかく吸血鬼が笑っているのに、不気味に思われたら嫌だったから。
涙と呼ばれる水が止まるまで、少女は顔を伏せたまま、吸血鬼の手を握り続けた。
「あら、お邪魔だったかしら」
そこへ、誰かの声が無遠慮に響いた。
吸血鬼の少女が振り返ると同時、見られぬように少女も顔を上げる。
その先には、何となく見たことのある者が並んでいた。
「メイド……」
「メイドですわ」
「門……」
「門番ですよ」
「……図書館?」
「司書ですってば……」
「むらさきばあさん」
「太陽は好きかしら、今度部屋いっぱいにプレゼントするわ」
その四人を先頭に、役立たずのメイドがずらりと並んでいた。
誰もが手を繋いで、異様な光景に見えるそれを少女は呆然と見つめている。
そんな少女の手を吸血鬼は引いて、部屋の外へと連れ出した。
突然のことに、躓きそうになった少女の空いた手を、紅魔館の門番が軽々と引き上げる。
「さて、久しく外へと出てみましょうか」
吸血鬼は、先とはうって変わって楽しげな笑みを浮かべて宣言した。
様々なメイド達と、魔女と悪魔と門番がそれに続いて声を上げる。
少女は未だに状況を理解できないまま、日傘の下に連れ出された。
呆然とした少女だったが、一つだけ理解したことがある。
これから、とても楽しいことが起こるのだと。
騒がしい紅魔館から少しばかり離れた竹林の上空では、不気味な黒い球体が浮んでいた。
「あんたの暗闇と、私の歌があれば無敵。もう人間なんかに負けたりしないわ!」
「そーなのかー」
闇色の球体の中、夜雀と闇の少女は笑い合っていた。
そして、楽しげに歌う夜雀の隣、少女は考える素振を見せる。
硬い表情は変えないままで、少女は曖昧に夜雀の手を取った。
「友達ってこと、だよね?」
その言葉に、夜雀はきょとんとした顔を見せる。
少女はその様子を眺め、首をかしげたまま微笑んでいた。
その微笑みに、夜雀は考える素振も見せずに告げる。
「あったりまえじゃない」
再び笑い合う両者の真下、二つの人影が空を仰いでいた。
「残念だが、私なら目が見えなくてもあいつらを焼き鳥に出来る人間な訳だ」
「あら、まだ人間のつもりだったの?」
「人間の皮を捨てたつもりはない」
声の主は不死の少女と月の姫である。
出会いの挨拶に、一度ずつ殺し合った両者は、怪我をした様子もなく立っていた。
「それにしても、遂に従者に見捨てられたのか?」
「貴方こそ、あの半獣の姿が見えないわね?」
両者とも、痛いところを突かれたのか、苦い顔で押し黙ってしまう。
そして、月の姫は諦めたかのように溜息を吐くと、少女へ手を差し出して見せた。
「寂しい者同士、今日くらいは良いと思わない?」
「……お前は兎が居るだろ」
「ペットに親しみを持つほど寂しくないわ」
「お前なんか大っ嫌いだ」
「そう、私は割と好きよ。同等に思える唯一の存在だもの」
殺したいけどと、矛盾した言葉を付け加えて、月の姫はいやらしく笑って見せた。
少女は不満を溢し続けているが、不思議と手を放す素振は見せない。
「兎の癖がうつったのかしらね」
「何?」
寂しいと、死ねないくせに死にそうになる。
呟きながら、月の姫は忍び笑いに花を咲かせた。
声を聞き取れなかった少女は、訝しげにそれを見やり、思う。
「慧音はどうしてるのかな……」
異様な竹林を抜けた先には、人間達の里が広がっている。
里では各所で笑いが起こり、手を繋ぎあう様子が見られた。
それを、一人眺める白沢もまた、幸せそうに笑っている。
「平和で良い日だ……」
優しい瞳は里を映し、輝いている。白沢は、里の人間達が好きだった。
故に、人間達が幸せそうだったのなら、彼女も同じく幸せだったのだ。
「慧音」
そんな白沢へと、背後から声が届いた。
振り返れども何の姿も見えず、白沢が首を傾げていると、再び声が響いた。
「慧音!」
先より大きく、鼓膜に響くような元気な声に、白沢はようやく目線を落として気付く。
白沢の膝元より小さな子供達が、丸い瞳で彼女を見上げていた。
「先生、手を繋がないと駄目なんだよ」
「一人で可哀相だからよ、仕方なく――」
「何言ってるのよ、慧音先生のところに行こうってあんたが」
「照れてるのよ、男の子って子供だわ」
「お前も同い年だろ!」
揃って手を繋ぎ合わせた五人の子供達は喧しくも、無邪気な笑顔で口を揃えた。
「先生、手を繋ごう?」
「お前達……」
白沢は少しだけ驚いたような顔をして、笑みを深めて目を閉じた。
白沢は、里の人間達が好きだった。
「慧音様ー」
「お? 何やってんだお前ら」
「うん?」
そして、その後ろから大勢の人々が寄ってくる。
皆それぞれが手を繋ぎ合って、照れながらも微笑んでいた。
「手を繋ぎましょう」
代表して、九代目の阿礼乙女が白沢へと言葉を放つ。
片方の手を里の人々と握り合った阿礼乙女は、微笑みと共にもう片方を白沢へ伸ばす。
「本当に、三十あまりでは足りない程良い世界になったものだわ……」
「あぁ、本当に」
阿礼乙女は両手に温もりを得ながら呟く。白沢も、心からそれに同意を示した。
白沢は、里の人間達が好きだった。
そして、里の人間達もまた、白沢のことが大好きだった。
楽しげな喧騒が広がる里から、竹林へと戻ると、奥深くに古い屋敷が建っている。
煤けた空気の漂う永遠亭の中、月の兎は一人、長い廊下を歩いていく。
薄く開かれた部屋には、手を繋ぐ因幡達が見えた。
しかし、月の兎の隣には誰も居ない。
「……師匠」
声は遠く、誰の耳にも届かないように消えていった。
同じような姿の因幡達も、月の兎と会話を交わそうとはしない。
「鈴仙、あんた何してるのよ」
そこへ、呆れたような声が響いた。
同時に、月の兎は強く手を握られる感触を覚える。
「……てゐ?」
「永琳さまじゃなくて、悪かったわね」
不機嫌そうに目を細めた素兎は呟くと、とたんに部屋の襖を蹴り倒した。
突然のそれに、月の兎は目を丸くして驚いている。
止めようとする月の兎を気にも留めず、素兎は倒れた襖を更に蹴り飛ばして言った。
「あんた達も、隠れてばかり居るんじゃないわよ、鬱陶しいわ」
「て、てゐ!」
「鈴仙と仲良くしたいのなら、隠れてちゃ意味無いでしょうに」
鼻息も荒く、襖の先から出てきた大量の因幡達を見下ろして、素兎は憤慨した。
月の兎は、暫し素兎の言葉を理解できず、ただ戸惑うばかりである。
そして、因幡達はのそのそと立ち上がると、小さな手を月の兎のそれへと重ねた。
ここまで来て、ようやく月の兎は理解した。
「あの、親しい人と手を繋ぐ日であって、わ……私とで、いいの?」
「何を今更、此処の兎はみんな輝夜様のペット、家族じゃないの」
「てゐ……ありがとう」
「何で、礼なんか言うのよ……ばか、ばか鈴仙」
少しだけ潤んでしまった瞳を閉じながら、月の兎は微笑んだ。
素兎は向けられた微笑みから目を逸らし、何でもないかのように強く手を握ってやる。
月の兎もまた、その手を強く握り返した。
「それにしても、永琳さまは何処へ行ったのやら……」
照れ隠しに呟かれた言葉の受け手は、鈴蘭の咲き乱れる丘に居た。
「……何よ」
「あら、一人かしら?」
鈴蘭の中、何処かの姫様のように座り込んだ人形が空を仰いだまま応える。
声を掛けた薬師は静かに、微笑みながらその隣に腰掛けた。
「一人じゃないわ、スーさんが居るもの」
「そうね、忘れていたわ」
風が丘を吹き抜けると同時、鈴蘭の花びらと共に毒の甘い香りが昇っていく。
常人なら倒れてしまいそうな濃度の高い毒の中で、薬師は顔色一つ変えようとはしない。
そんな薬師を気にしながらも、人形は空を仰ぎ続けている。
そこに、寂しいなどという感情は見えない。
それでも、薬師はその手を取って、優しく包み込んだ。
「今日は、親しい人と手を繋ぐ日なのよ」
「……繋ぎたいなんて、言ってないわ」
「あら、友達じゃない」
薬師が薄く瞳を閉じると、人形は思わず空から視線を下ろした。
その視線の先では、人形の冷たく無機質な指を、薬師の温かな手が包み込んでいる。
「いつから友達になったのよ」
「鈴蘭を、分けてくれたわ」
「それは対価があったから、協力関係よ」
「協力関係は、友達とも言わない?」
「言わないもん」
口を尖らせて、怒ったように人形は呟く。
何かを必死で否定するような、そんな心が見え隠れしていた。
「それなら――」
薬師はそっぽを向いてしまった人形の手を握り直して、笑みを深める。
そして、底抜けた優しさを感じられる笑みとその声で、薬師は一つの提案をした。
「今から友達になりましょう」
強い風が吹き抜けて、一面が白い花びらの波に飲まれる中。
人形は僅かに、頷いてみせるのだった。
美しく咲き誇る鈴蘭に囲まれた丘には、人形達以外にも人影があった。
毒が香る風に揺れながらも、それすら楽しむように花の妖怪は立っていた。
視線の先には、手を繋いでいる二つの影がある。
花は微笑ましく思いながらも、羨ましくは思っていなかった。
こんな日に、一人で居るのも悪くないと思っているのである。
「ねぇ、幽香!」
花が一人風に揺れていると、その後ろから声が上がった。
鈴蘭の畑から少し離れたところに、蟲の妖怪が一人、立っている。
花は蟲を知っていた。故に、微笑みを崩さぬまま、蟲へと近づいていく。
「呼ばれたかしら」
「うん、呼んだ。また花を咲かせて欲しいな」
蟲は微笑み返し、用件を言う。
花も微笑みを深くし、仕方がないというように溜息を一つ吐く。
普段とは見間違えるような両者のやり取りは、どこかお互いに優しさを感じるものだった。
花は蟲に吸われ増えて行き、蟲は死して花に吸われてまた増える。
「でも、咲かせるのは毒が無いのが良いな」
「あら、残念ですわ」
「だから、違う花畑に行こう?」
蟲が手を差し出す。花はただそれを見下ろす。
花は、こんな日に一人で居るのも、悪くないと思っていた。
それでも、花は蟲の手を取り、引かれて行った。
同時に、こんな日は誰かと居るのも悪くないと思ってもいたのである。
立ち去った二人の妖怪の後を白い花弁が流れて、風は無縁の塚へと吹いていく。
「また、仕事をしていないのですか……」
「あ、来ましたね」
三途の川原にて、鎌を手に座り込む死神を前に、閻魔は腕を組んで立っていた。
「来ましたね、ではありません、あなたは少し職務を疎かにし過ぎている。このままでは――」
「四季様、今日は特別な日なんですよ」
「……は?」
「親しい人と手を繋ぐ日です。知らないのですか?」
朗らかに笑う死神の前、事情を知らぬ閻魔はただ首を傾げるばかりだった。
死神はゆっくりと立ち上がると、不思議そうな表情で佇む閻魔の手を取る。
すると、閻魔はとたんに顔色に朱を交えて、挙動不審に声を上げた。
「そ、そんな日はありません、出鱈目です! 嘘を吐くと舌を――」
「何処かの誰かが、そう決めたのですよ。皆が従ったんですから、それは真実でしょう」
「だからって……」
「だから、四季様は今日、あたいと手を繋ぐんです。それが、四季様が出来るあたいへの善行。なんてね」
照れながら言う死神に、閻魔は深い溜息を溢した。
肩を落とし、それでも、上げた顔には微笑みがある。
「わかりました、良いでしょう」
「やった」
「えぇ、手を離してはなりません。今日は一日を掛けてあなたに死神のことを教えて上げましょう」
「――え?」
閻魔の微笑みは崩れない。
不純なものなど一切含まないそれは、死神を恐怖させるのに充分だった。
死神のうめき声は風に乗り、あの世と呼ばれる場所へと渡っていく。
冥界、白玉楼の大結界の近く、三つの影が踊るように回っていた。
やたらと明るい音に暗すぎる音、その二つを上手い具合に整える聞いたことも無い音。
騒音のようなそれは、規則正しいリズムを刻み、初めて曲として成り立つ。
しかし、今の音は誰もが好き勝手に音を出した騒音であった。
それでも、手を繋ぎあった騒霊は楽しげである。
「流石姉さんね……凄い騒音レベルだわ」
「ぐるぐるー」
「……リリカ、新しい音を入れたのね」
手を繋ぎあって踊る騒霊達は、何故か一つ分間を空けて回っている。
だというのに、円運動は全く崩れることはなく、まるでそこに誰かが入り込んでいるようだった。
その間へと、三者とも目を向けている。
「……レイラ」
「貴方が望んだように、私達は音を出すために存在していく」
「存在理由なんて分からないけど、ね」
呟きながらも、騒音は止まらなかった。
しかし、好き勝手な騒音ではあるが、不思議と苦痛に感じない優しさが込められている。
それは、まるで騒霊達の心の音でもあるようだった。
「それでも……」
「私達は四姉妹」
「だから、手を繋ぐのは姉妹全員よね!」
一つだけ間が空いたように見えるそれは、きちんと埋められている。
騒音の鳴り響く空の中、騒霊の四姉妹が手を繋ぎあって、回るように踊っていた。
そして、騒音の最も近くに広がるのは、冥界白玉楼である。
庭師は心中に葛藤を抱えていた。
仕事と想い、両立は出来ないそれの優先順位など分かっている筈なのに、庭師は葛藤を抑えることが出来ずにいる。
迷いを断ち切ると言われる己の剣を、人間である部分へ当てても痛いだけで何も変わりはしない。
「……何を、やっているんだ」
「本当ねぇ……」
追従の声に庭師は頷き、眉を顰める。
そして、再び葛藤の中に身を置いて、声を上げたのは十を数える間が空いた後だった。
亡霊嬢は扇子で口元を隠し、愉しげに笑っていた。
庭師は己の不甲斐無さに気を沈め、深く頭を下げる。
「幽々子様、申し訳ございません。すぐに職務へ戻ります」
「あら、妖夢。まさか、今日がどんな日か知らないの?」
精一杯の謝罪は、亡霊嬢の微笑みに意味を失った。
勿論、庭師は今日がどのような日か気付いている。
故に、心中に葛藤を抱えていたのだから。
「あの、仕事が……」
「主に惨めな思いをさせるのは、従者としてどうなのかしら」
からかうように呟く亡霊嬢に、庭師は慌てたように言葉を返す。
ですが、しかし、と小さく呟き続ける庭師を、亡霊嬢は目を細めて見つめる。
なんとなく、寂しいような気がした。それが理由だったのだ。
「妖夢」
「はい?」
「今日くらいは、我侭を通してみなさい」
「――え?」
庭師はまだ幼い心を持っている。
故に誰かに触れたいことも多々ある筈なのだ。
それを押さえ込む姿を見ていて、楽しく思う程、亡霊嬢は悪趣味ではない。
小さな庭師の手をとって、亡霊嬢は包み込むように握る。
「……幽々子様」
「何?」
「……何でもないです」
庭師が伏せてしまった顔には、僅かに涙の色が見えた。
亡霊嬢はそれを、愛おしく思いながら、黙って受け止めてやった。
「紫は、ちゃんと従者の世話をしているのかしら……」
呟きは心の内で、亡霊嬢の心は弱みを見せる庭師に知られはしない。
そして、我侭を言えない従者は別にも居た。
迷い家と呼ばれる和風の家で、狐と猫が手を繋いでいる。
「藍様……あの……」
「橙、お前がちゃんと握ってくれなければ、私は寂しい者になってしまう」
「でも、紫様は良いのですか?」
「……どこかに行ったよ、私を置いて」
ずざぁ、と埃を巻き上げて狐が跪いた。
彼女は虚ろな瞳を浮べ、口の端から私には橙が居る、橙だけが居ると呟き続けている。
狐と手を繋いだ猫はどうすればいいのか分からず、ただ頭を撫でてみることしかできない。
それでも、猫は狐と手を繋げて嬉しそうだった。
「紫様、何故私達を置いていくのですか……」
狐の様子を見るに、主の違いは確実に現れているようだった。
そして、幻想郷を回って戻るのは、博麗神社の境内である。
巫女はまだ一人、鳥居から石段を眺めていた。
そこにはやはり、誰の姿も見えない。
寂しくないと言えば嘘になる、そんな気持ちを抱えながら、巫女は変わらず、普段通りに掃除を続けていた。
「今日は、誰もこないのかしらね……」
それは、けして弱音ではなかった。
休息で一息ついて、思わず零れた意味も無い独り言である。
それでも、巫女は顔を歪めて後悔していた。
「あら、寂しかったのかしら」
「霊夢は寂しがり屋だったわけだ」
ずしりと感じた手の重みに振り返ると、鬼と隙間妖怪がいやらしい笑いを浮かべていた。
続いて、一番初めに来るかと思っていた魔法使いが、大所帯で加わってくる。
「霖之助さんは分かるけど、その妖精達はどうしたの?」
「知らん! くそ……」
何故か不機嫌そうな魔法使いを余所に、遠方から嫌に暗い雰囲気の狐がやってくる。
「……紫様」
「あら、遅かったわね、何をしていたのよ」
項垂れる狐へ、隙間妖怪は眉を寄せて言い放つ。
そして、空いたその手を早く掴めと命じるのだった。
「待ちくたびれたわ。あなたの親しき者の内に、私が居ないのかとも心配するほどに」
「そ、そんな筈がありません!」
泣き真似に顔を伏せる隙間妖怪に、狐は慌てたように声を上げる。
その隣では、猫が少しばかり呆れたような表情を浮かべていた。
そんな騒動を余所にして、空からは紅い吸血鬼と従者達が降りてくる。
「あら、もう霊夢の手が空いてないわ……遅かったのかしら」
吸血鬼は不満そうに呟きながら、見知らぬ猫の手を無遠慮に取った。
それに続く妹と従者達も揃って巫女の表情を窺っている。
「あ、大妖精……やっぱりチルノと一緒なのね」
「うん」
反対側では、日の光の隣に大妖精が手を繋ぎ、遂には数え切れないほどの人数となった。
「チルノ、なんだか人気者なのね」
「……レティ、何処にいたのよ」
更に、季節妖怪が氷精の手を取り、無数の妖精達はその隣の春の妖精の手を取る。
紅魔館の妖精メイドと仲の良かった因幡の一人がその手を取って、数は更に増加し。
「あら、永琳」
「姫、私を置いていってしまうのですから、危うく一人になるところでした」
「……何のことかしら」
「仲が、よろしいですね」
人形と共に戻った薬師がその隣で手を繋ぎ、そこへ月の姫君が続き、不死の少女を白沢が掴む。
「慧音……」
「なんだ妹紅、ついに輝夜と和解したのか?」
「冗談じゃない」
白沢に着いて来た人間に混じって、こっそりと闇の少女と夜雀が混じり、その隣を数珠繋ぎで妖怪が続いていく。
「それにしても、どれだけ居るのよ……」
かくして、巫女は幻想郷の全てと手を繋いだのであった。
了
■作者からのメッセージ
「もう、春も近いな……」
風の吹き抜ける無銘の丘に、一人の老人が座している。
その瞳は澄み渡り、掃天の先までも見通すように輝いていた。
しかし、その上の目蓋には少しばかり疲れが見える。
剛健と謳われ、斬れぬものは僅かと思い込んでいた腕も今は老いに蝕まれつつあった。
春も近いとはいえ、吹き荒む風は少し冷た過ぎた。
「……ん?」
その冷え切った指先を、小さな手が掴む。
おじちゃんの手は冷たいねと、名も知らぬ少女は笑った。
「……あぁ、君の手はとても暖かいな」
「おじちゃん?」
「昔、一度だけ手に取った宝のように……」
「……泣いてるの?」
遠く及ぶ、繋がれた人々の輪の中。
間に幾多もの心を挟みながら、老人は己が子の手を握ったように思っていた。
そのずっと先には、魂魄妖夢と言う名の少女が笑っている。
■
ハッピーエンド分の補給の為、皆に優しい、幸せな物語を書きたかった。
しまった、オチが無い。
霊夢は誰にでも好かれているようなイメージがあります。
恐らく、東方好きで彼女が嫌いな人は珍しいのではないだろうか。
……なんてね。
此処までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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