“たいせつなうた。”
−そしてまた歌えるように−

作:眼帯兎






「……ふう」  幽かなる雰囲気が包む白玉の楼。  その穏やかとも寂しいとも感じとれる風情の中、呑気な溜息が吐き出された。  西行寺幽々子、それが呑気な溜息の主の名だ。  死を操る力を持つ白玉楼のお嬢様、それが彼女の肩書きである。  幽々子は今日も亡霊嬢らしく、何をするでもなく幽雅な時を過ごしていた。 「お茶が美味しいわ」 「……はい」  時を同じくして、隣に腰掛ける従者が同様に息を吐くのを眺めながら、幽々子はその笑みを深いものにする。  魂魄妖夢という名を持つ庭師兼従者、他にも何か役割があった気がするが、幽々子は覚えていない。  幽々子にとっての妖夢は、肩書きなど関係無く、頼りなくも可愛い半人半幽なのだ。 「うん、合格ね」 「ありがとうございます。しかし、私は給仕係ではありません」 「庭師でしょう」 「剣術の指南役“兼”庭師です」  以前、戯れにお茶の淹れ方を指導してから、妖夢の淹れるお茶はとても美味しくなった。  しかし、その後に語った冥界と世界についてのことは、未だに理解していないのが妖夢らしい所でもある。 「……まだまだ未熟なのよね」 「――っ! ……精進します」  思わず漏らしてしまった言葉に、妖夢が目を伏せて答える。  妖夢にこの固さがある内は、森羅万象を真に理解することは難しいだろう。  気長に見守るしかないと、幽々子はもう一度溜息を吐く。  それは先のものとは違って少量の憂いを含んでいるもので、何も知らない妖夢は更に肩を落とす。  そんな姿を可愛らしく感じながら、ゆっくりと育ててあげればいいと、幽々子は思っていた。 「――あら?」  不意に、視界の中に珍しいものを見つけて、幽々子は声を漏らした。 「人間の魂ですね。新しく来た者のようですが……あんなにはっきりと容を保っているなんて珍しい」  妖夢の呟きに頷きながら、幽々子の興味は完全にその霊魂に注がれた。  幽々子の視線の先、陽光の照らす庭には一人の霊魂が立っている。  二人分の視線に気づいたのか、半透明ということ以外は人間と変わりない姿のそれが、ゆっくりと一礼をした。  生前の姿をもった霊というのは余程の力を持った者か、大きすぎる未練を抱える者のどちらかである。  しかし、幽々子の見た限りでは霊魂はただの人間であり、強い霊力も感じられないため、恐らくは後者なのであろう。  それは、前者の魂よりも興味を引くもので、当然のように、幽々子はその霊魂へと呼びかけた。 「そこの貴方。その姿ならお茶も飲めるでしょう? こっちへいらっしゃいな」  幽々子の言葉に、霊魂は軽く頷いてみせる。  それに気を良くしながら、幽々子は妖夢にお茶のおかわりを催促すると、霊魂へと向き直った。 「ねぇ、もし良かったら、貴方のことを聞かせていただけないかしら」  ここまではっきりと姿を残すほどの未練だ、晴らすには長すぎる時間がかかるだろう。  それを語ることで、多少なりとも未練を軽くできることを、幽々子は知っていた。  だからだろうか、戯れとも言える慰めを行おうと思ったのだ。  その大半を強い未練への好奇心が占めていることに気づきながら、幽々子の瞳は霊魂が頷くのをはっきりと映す。  長すぎるともいえる亡霊生活、こういった楽しみもなければやっていられないのである。 「幽々子様、お待たせしました」 「妖夢もいらっしゃい、お話を聞かせてくださるそうよ」 「しかし、まだ庭の手入れが終わっていません」 「いらっしゃい」 「……はい」  そして、こういった話を聞かせるのも成長を促がす良い薬だ。  今はまだ理解できなくとも、後悔を残す生の語りは反面教師として心の奥に残るだろう。  それが劇的なものであれば、妖夢の心には大きな印象を与え、変化のきっかけに成り得るかもしれない。  そしてなにより、幽々子の余暇も、大いに有意義な時間へと変わるだろう。  そんな期待もあってか、渋る妖夢を嗜めて、幽々子は霊魂へ視線を送り、話を始めるように促がした。  しかし、霊魂は頷きかけて、ふと考える素振を見せる。  その視線が幽々子から妖夢へと移り、もう一度幽々子へと戻っていった。  それを見ながら、幽々子は思いついたように、手のひらにそっと拳を置く仕草をしてみせる。 「大丈夫よ、この子は半分幽霊の半人前だもの。貴方が人語を話せなくても、伝えることはできるわ」  姿を保っているとはいえ、流石にただの霊魂が人語を語ることは難しいのだろう。  霊となって尚話すというのは、妖怪のような変化した者でもなければ成し難い。  ただの人魂には、到底無理な話である。  しかし、幽霊同士ならば意思の疎通ができないわけではない。  そこで、霊魂は妖夢のことを気遣ってくれたのだろう。  その証拠に、幽々子が半人半霊であることを告げると同時、霊魂は笑顔を浮かべて語りを始めた。  その傍らで、妖夢が半人前と呟いて肩を落としていることに、両者は気づこうとはしない。  後悔深く、未練薄れること叶わぬ霊魂の語りは幽かに儚く、その情景を他者へと映すもの。  心と呼ばれる部位に、最初に映ったのは暗い穴の中、こちらを見上げる鳥妖の少女だった。  そして暗転、次に映るのは俯きながら何処かの家の中に座る鳥妖の姿。  言葉を交わしながら、ゆっくりと霊魂の感情が流れてくる。  愛情、保護欲、他にも数え切れない感情を含んだ好意。  きっと、この魂はこの鳥妖を愛していたのだろう。  そして、二度目の暗転の後には、鳥妖の方もこの魂を愛しているのだと理解できた。  その情景に顔を赤らめる妖夢を傍らに、幽々子は思案する。  人と妖が交わるということ、それは体験したことのない幽々子には理解できないほど辛いものだろう。  しかし、本当にそれが未練に成り得るのだろうか。  こんなにも愛しいという感情を持ちながら、未練など残せるのだろうか。  映る移り変わる情景は、無粋な思案など捨て置きながら、笑顔の少女を見送る場面を映している。  そして、忘れ物でもしたのかと、笑みを浮かべながら叩かれる戸を開く。  次の場面は暗転ではなく、ただ血の赤に塗りつぶされていた。  隣で息を呑む音が聞こえる。  それでも、幽々子は表情を変えることはなくその疑問を口にした。 「これが、貴方の未練なの?」  冷たくも聞こえる問いに、霊魂はゆっくりと首を振った。  それと同時に赤も途絶えて、映されたのは暗く冷たい森の景色。  その中心に何かを貪り、嘆き続ける少女の姿があった。  雨に晒され、紅に犯され、それでも嘆きながら食すことを止めない。 「これは先の少女? ……食っているのか、貴方を!」 「……でしょうね」 「これでは、未練も残るというものだ……」 「……未熟ねぇ」  傍らで震えている妖夢をその一言で抑えて、幽々子は変わり行く景色を見つめ続けた。  最後に映されるのは、月を見つめながら血の混じる紅い涙を溢した少女。  その姿に、幽々子は確信を得た。 「貴方の未練は、残してしまったこの子なのね」  言葉を受けて、霊魂は静かに頷いた。  その姿に、何か温かいものを感じながら、幽々子もまた頷きを返す。  そしてただ一人、理解できない妖夢の顔を見つめて、幽々子はもう一度溜息を溢した。 「妖夢、貴方は一度恋でもしてみる必要があるわね」 「恋ですか、何故?」 「未熟だからよ」  未熟という言葉に、妖夢はムッとした表情を浮かべる。  その表情が、油断の無い固いものへと変わるのは一瞬のことだった。 「――あら、誰か来たみたいね」  白玉楼唯一の扉に張られた結界、その端の端に、何かが触れる気配が流れた。  瞬間、傍らにはもう従者の姿はなく、湯気を残した湯飲みだけがそこにある。  幽々子はもう一度未熟者と呟いて、空を漂っている三人のちんどん屋へと声をかけた。  口にした頼みごと、それを渋りながらも了解した三姉妹に笑みを浮かべて、霊魂へと振り返る。 「ほら、せっかく淹れたお茶に手を出さないのは無礼というものよ」  長くかかると思われたこの霊魂の未練は、案外早く晴れてしまいそうだ。  そんなことを思いながら、今は頼りない従者に任せ、長くない付き合いとなるであろう魂と茶を飲み交わす。 「……はぁ」  美味しいお茶を飲み下し、二人分の溜息が白玉楼に吐き出される。  幽々子は今日も亡霊嬢らしく、幽雅な時を過ごしていた。  ◆  空に浮かぶものというのは、肉眼では距離が掴みにくいものである。  遥か遠くでは近く感じたその大きな扉は、霊夢の体力を使い切って尚、距離を残すほどであった。 「私は……人間なのよ。妖怪みたいに、長い距離を、運べるわけ、無いじゃない!」 「――ご、ごめんなさい」  言葉も切れ切れに、博麗霊夢は口にする。  霊夢に抱えられながら空を行くミスティア・ローレライは、妖怪よりも強いくせにと思いながらも、謝ることしかできない。  実際、霊夢は三途への道程からずっとミスティアを抱えて飛んでいる。  人の身では限界といったところだろう。 「も、だめ、限界」  先の言葉から二十分ほど飛行して、ついに霊夢は断念した。  扉も目前というところで高度を徐々に落として、霊夢は力なく岩の上へと寝そべってしまう。  それでも、よく此処まで来れたものだと褒めるべきだっただろう。  降り立った地は遥か雲の上とは違い、温かみに溢れていた。  萌える草花に異常はなく、季節に従ってその姿を表している。  そんな、何の異常もないような広場だった。  唯一つ、見上げた先に巨大な扉があるということ以外には。 「ねぇ、霊夢」 「うん?」  漂い始めた沈黙を取り払うように、ミスティアが声を張る。  返ってきた声はとても気だるいものだったが、気にすることなくミスティアは言葉を続けた。 「貴方は何で助けてくれたの? 博麗の巫女なのに何故、人を食べる妖怪を助けたりしたの?」 「……変かしら」 「変よ、貴方の仕事は妖怪退治でしょう?」 「それは副業というか、おまけみたいなものだけど……そうね、変だわ」  こんなだから賽銭も入らないのよねと、霊夢は笑う。  それはとても自虐的なはぐらかしだった。  そのはぐらかしは、反則のようなものだとミスティアは思う。  自分には聞く資格などないとでも言うようなそれは、誤魔化すなとは言えなくさせてしまう。  きっと、それを問い詰めることができるのは長く傍に居た者だけなのだ。  例えるならば、白黒の魔法使いのような親しい者――。 「――なに考えてるのよ」  突然の声が、ミスティアの思考を遮る。  不満そうな声色は、流石に勘が良いと噂されるだけのことはあるようだった。  ミスティアは睨むような視線に苦笑いを浮かべて、視線を逸らすように空を仰ぐ。  手の届きそうで届かない扉が、そこにあった。  手を伸ばしても届かないという点で、それは月にも似ていると言えるだろう。  しかし、それは似ているだけで月とは唯一違うところがあった。  故に、ミスティアの手はそれに届く。 「もう……飛べる」  包帯に包まれた翼に手を添えて、ミスティアは確認するように呟いた。  倒れこんだ霊夢は恐らく数十分は動かないだろう。  その数十分をミスティアは待てそうもない。  だから、やることなど決まっていたのだ。  ミスティアはその手を扉へと届かせる為に、邪魔な包帯へと手をかける。  ゆっくりと解かれたそれは、吹き抜けた風に舞いながら消えていった。  そして、背後に添え木の落ちる乾いた音を聞きながら、ミスティアはその翼を一度だけ羽ばたいてみせる。  微かな痛みを残す羽は、四日ぶりの風を上手く乗せて、ミスティアを地上から解き放った。 「ごめん霊夢、先に行くね」 「……途中で落ちてきても助けないわよ」  やはり興味のなさそうな声の皮肉は、何故か無理はするなと聞こえて、ミスティアは心の中で笑みを溢した。  そして、痛む翼を動かしながら扉を見上げる。  入り方は幽霊楽団の末女が溢したのを幸運にも覚えていた。  この手は、届く。 「少ししたら追いつくわ」  背後から聞こえた面倒くさそうな声に、今度は心の中ではなく微笑む。  そして、ミスティアは霊夢の半分にも満たない速度で飛翔すると、静かに雲の中へと消えていった。  ◆  微かな痛みは激痛へと姿を変えて、空を行くミスティアを襲っていた。  それでも、扉は目前にある。手を伸ばせば、既に触れられる距離にあるのだ。  しかし、触れた瞬間にその身は消し飛んでしまうだろう。  霊を防ぎ、生者を弾く大結界。それが、この扉なのである。  ミスティアの丈の二十人分はあろうかという巨大なそれは、その力を示すように大きく立ちはだかっていた。  しかし、そんな結界も、通り方を知っていればなんということもない。  扉の上を通り抜ける。それだけでこの大結界は無用の長物と化してしまうのだ。  そんなものが、羽を痛めたミスティアには文字通りの壁として、行く手を塞いでいた。  昇る度に冷気を受けた翼からは絶えず失神してしまいたくなるような激痛が走ってくる。 一瞬でも気を抜いたらすぐにでも墜落してしまうだろう。  それでも、ミスティアを後押しするような何かがあった。   それは意地。あの夜から在り続けた、身体を動かす何か。   それは悔み。間違いに気づいた時に芽生えた、動かす理由。   それは想い。愛したものへと届かせる為の、湧き上がる力。  故に、ミスティアは扉を飛び越える。  瞬間、張り詰めていた力が緩み、ミスティアは半ば落下しながら地へと足をつけた。  そこは幽かな死の香りが漂う生のない場所。  これが死地。死者に安らぎを、生者に違和感を与える眠りの地。  現世とは異なる空気に一度だけ身震いを残して、ミスティアは進むべき道を見上げる。  辺りに魂の姿はない。恐らくはもっと先に、此処を管理する者がいるはずだ。  ミスティアの目の前には長い永い石段が続いている。  確認と同時、ミスティアの足は躊躇いもなく、既に石段を踏んでいた。  この場所に、愛した者がいる。  ミスティアは謝らなければならない。  伝えなければならない。  救わなければならない。  故に、その足は疲労の先も止まることはないだろう。  ミスティアはひたすらに、死地の中を進んでいく。 「――止まれ」  久遠に続くとも思えた石段も半ばにして、その声はミスティアの鼓膜に冷たく響いた。  疲れを溜めた足を止める。  声が掛けられたからではなく、首筋に添えられた刃のせいだ。 「こんにちは、また会ったわね」 「生ある者が此処を通ることは許さない」 「花がたくさん咲いた時にも会ったわね」 「即刻立ち去れ、お前が居て良い場所ではない」  噛み合わない会話に、妖夢が聞く耳などもつ気はないのだとミスティアは理解する。  それが妖夢の役目であるなら、ミスティアがここを通ることは好しとされない。 「ここに用事があるの、とっても大切な用事が、ね?」 「私の知ったことではないな、大人しく帰ってもらう」  故に、自分の用事を簡単に告げて、拒否された後にすることは決まっていた。  ミスティアはゆっくりとした動きで添えられた刀に指を添えて、告げる。 「なっ!?」 「通るわ、貴方には止められない」  妖夢は未熟と言われていてもその戦闘能力は並みのものではない。  ミスティアのような平凡な鳥妖如きが挑んだところで勝負は目に見えていただろう。  しかし、力の差が大きすぎる相手に、何の根拠も無くミスティアは言った。  刀を掴む手がその霊圧に負けて、嫌な音を立てながら焼けていく。  楼観剣、その霊刀の与える苦痛に目もくれず、微笑みさえ浮かべてミスティアは妖夢と相対していた。  首筋に当てられた刃は脅しの意味が強かったのだろう。  目の前では信じられないという顔をした妖夢が、目を見開いてその指先を見つめていた。  その姿に、確かに未熟者だとミスティアは意識の端で思う。 「私はね、ここを通れればどうなってもいいの。死んだら通れるんでしょう?」  手に焼きついた刀身をそっと自分の胸元に寄せながら、ミスティアは簡潔に用件を伝えた。 ――殺してみろ。  肉を焼き、煙を昇らせる刀身は既に震え始めている。  ミスティアは終始妖夢から目を離さず、じっと瞳の中を覗き込んでいた。  狂気さえ残すミスティアの瞳は、きっと妖夢にはどんなものよりも恐ろしく見えただろう。  覚悟を持った相手と相対するのは、きっと初めてだったのだろう。  霊や無機物しか斬らず、本当の意味で生を持つものを、断ったことなどなかったのだろう。  そんな妖夢に何かを斬るなんて、できる訳がない。  以前会った時の妖夢と比べれば、恐怖を浮かべた半人半霊など赤子に等しかった。 「なんで……怖くないのよ!?」  だから、惨めに叫んだのだろう。  理解できない、理不尽な殺生に怯えるように。  命令の無い殺生を、妖夢はしたことがないのかもしれない。  握られた刀は既に力など篭っていない。  それは、子供の握る刃物と同じだった。 「私は一度死んでいるから。彼の為なら殺されるなんて些細なことなの」 ――貴方は怖いの? 半分幽霊のくせに。  妖夢は生まれた時から半霊だ。それ故に、その恐怖を理解できていない。  故に、この勝負にだけは勝てないだろう。ミスティアは此処に入れればいいのだから。  負けのない勝負なんて、初めから勝負ではない。  だから、最初にミスティアは言ったのだ。  妖夢にはミスティアを止めることなどできない。  殺すことに怯え震える剣先が、肉の中に沈んでいく。 「――やめ」  妖夢の叫びと同時に、胸の中に沈められかけた刀身を何かが打ち落とす。  それと共に刀身に焼き付いていた肉から嫌な音が響いて、ミスティアの手のひらに薄く血が滲んだ。 「うちの庭師を、あまり苛めないでね」 「幽々子様っ!?」  その姿は幽かであり雅。構えた扇に伸びる指先は繊細で、とても先の刀を叩き落せたとは思えない。  音もなく、亡霊らしく、令嬢らしく現れたのは白玉楼の主たる者だった。 「先に行ったと思ったら、なにやってんのよあんたは」 「霊夢……」  続けて、ミスティアの背後から声を響かせる巫女の姿が現れる。  血の滴るミスティアの指先を見つめながら、面倒くさそうに布切れを渡してきた。 「あら、久しぶりね霊夢」 「この前花見で会ったばっかりじゃない」 「そうだったかしら?」 「頭の中に春しか詰め込んでないから覚えてられないのよ」  両者共に、慣れたように言葉を交わす。  片や穏やかに微笑み顔で、片や無情に呆れ顔で。  その端でへたり込む妖夢を横目に、ミスティアは幽々子を見上げるようにして視界に納めた。 「貴方が、ここの管理人さん?」 「いいえ、管理人なんかじゃなくてお嬢様ですわ。庭の管理はこの子の役割」 「でも、貴方が一番ここに影響力を持ってるんでしょう」 「まぁ、そうとも言えるのかしら」  先の鋭い一撃とは違う、軽い雰囲気を匂わせる態度だった。  それはきっと力持つ者が漂わせるもので、精神の面でも能力の面でも妖夢とは比べられるものではない。  だからこそ交渉の余地があり、その達成は難しい。 「それならお願いがあるんだけど、人探しをするから通してくださらない?」 「お断りしますわ」  終始笑顔を崩さずに、幽々子は申し出を一刀の元に断する。  その答えは分かっていた。故に、ミスティアは交渉材料として唯一のものを示してみせる 「何でも、私にできることなら何でもしますから、どうかお願いします」  頭を垂れながら、ミスティアはもう一度懇願した。  やらなければならないことが、この先にはある。その覚悟故に、口から吐かれた言葉に偽りはない。  死ねと言われれば躊躇いもなく死ねる覚悟が、今のミスティアにはあったのだ。 「何でも?」 「できることならば、何でも」 「それなら条件を一つ、それと引き換えに貴方を通しましょう」  聞き返される問いに躊躇無く答えると、幽々子は満足したように微笑んでいた。  そして、まるでミスティアがその言葉を言うことが分かっていたかのように、間さえ与えぬ答えが返される。 「幽々子様、生きた者を通すのですか?」 「何度も通してるじゃない、貴方が」  幽々子の視線が霊夢へと向き、それを追った妖夢が俯いて押し黙る。  ミスティアはもう一度頭を下げて、礼を表した。 「それで、条件って何よ」  今まで口を開かずに静観していた霊夢が、ミスティアの代わりに問う。  その言葉に、ミスティアも妖夢も幽々子へと視線を向けた。 「そうね、事が済んだらその命を貰うわ」  とても簡単なことを言うように、幽々子はその言葉を口にした。  霊夢は少しだけ眼を細めて幽々子を眺めた後、ミスティアへと振り向く。  それでいいのか、と。  答えなどミスティアの中には一つしかない。故に、眉さえ動かすことなく頷いて見せた。 「分りました。通していただけるなら、この命は差し上げます」 「契約成立ね」  頭を下げるミスティアを見下ろしながら、幽々子は笑顔を深くする。  そして、妖夢へと向き直りながら、幽々子は初めてその表情を崩した。  そこに笑顔はなく、ただ無表情に、主として従者へと語りかけるものだった。 「妖夢、覚悟を持った者にはこうやって勝つの。その覚悟故に、交渉を断ることなんてできないのだから」 「結果は同じじゃないですか。結局、命ある者が此処を通るのに変わりはありません」 「どちらが優位にあったか、それが大事なのよ。そんなことだから貴方は他の人妖に甘く見られるの」  未熟。その何度目かの呟きに、妖夢が肩を落とす。それに見向きもせず、幽々子は空を眺めていた。  不自然な間が辺りを包み、沈黙だけが流れていく。  意図的に作られた沈黙に、ミスティアは足を上げて進むこともできず、幽々子を見つめた。  何故だろうか、ミスティアは幽々子の顔に、僅かな焦りが混じっているように感じている。  しかし、その顔が何かを見つけて笑顔に変わっても、ミスティアは何も思うことはなかった。 ――ミスティア。  身体は勝手に動いてくれた。  確認する必要もない、そこに居ることが自然と分かってしまう。  故に、ミスティアは眼前の全てのものを捨て置いて、走り出していた。  視界が滲んで先が見えなかった。必要ない、見る必要はない。  無理な体勢からの走り出しに足が縺れる。問題ない、距離はもう零に等しい。  軽い衝突音の後、ミスティアの小さな手の中には、願い続けた半透明の人の身があった。  それを、まるで二度と手放したくないと言うように、ミスティアは回した手にできる限りの力を込める。  そこに言葉はない。嗚咽さえ溢さず、ミスティアは別れた半身を取り戻したかのように、それを掻き抱いた。  求めていた、謝りたかった、助けてあげたかった。  そんな想いを抱きながらも、ミスティアはその身を確かめるだけで精一杯だった。  幻想ではない身体の実感。しかし、生を感じさせない、冷たい感触。  何かを亡くしてしまったかのような悲しい低温に、ミスティアの視界が更に滲んでいく。 「……ごめんなさい」  その言葉に青年は答えない、答えられない。  ただ、少しだけ困ったような顔をして、ミスティアの頭に手を置いた。  ミスティアの顔を覆うほど大きく無骨な、それでいて優しい手。  少しだけ乱暴に、ぎこちなく撫でられだけで、ミスティアは塞き止めていたはずの涙を溢れさせた。  優しく恐れるように、短めの髪へと指を通されるだけで、ミスティアは抑えていた嗚咽を漏らしてしまう。  青年の手は、まるでミスティアを支えていた強がりを取り払っていくようだった。  そして、青年がミスティアを抱き包む頃には、子供のような盛大な泣き顔ができあがっている。  叫ぶような声は不満不平の嘆き、その叫びを、誰が子供らしいと馬鹿にできただろうか。  亡霊嬢は笑顔を崩すことなく、それを見守っている。  巫女はまだ無表情に、しかし口の端を僅かに上げて目を閉じる。  無粋にも席を外そうかという従者は無言の主に止められて、呆然とそれを見つめている。  青年はやはり困り顔で、ふと閃いたようにミスティアの額に口付けをする。  その行為に叫びは止んで、青年は笑顔を浮かべると、ミスティアの頬を優しく撫でた。 ――会いたかった。 「うん、私も会いたかった」  聞こえぬ筈の青年の声に答えながら、ミスティアはもう一度青年を強く抱きしめる。  繋がる二人に、もはや言葉は不要だった。  ◆ 「まだ、私のことを抱きしめてくれるんだね」  青年の腕の中、目を腫らしたミスティアが呟くように溢す。  その言葉に、青年は微笑みながら髪をくしゃりと撫でて答える。 「ごめんなさい。私は弱くて、間違えてしまった。守るためだって、貴方を……」  続く言葉は遮られる。  パチンと、青年は軽くミスティアの額を弾いて笑ってみせた。  その笑顔に釣られるように、ミスティアもまた笑顔を浮かべる。 「だからね、教えてもらったの。私が貴方に唯一できること。好きだって言ってくれた歌を歌うこと」  それが救いになるかは分からないけれど。  それが贖罪になるわけではないけれど。  聞いてほしい、歌があった。  青年は笑っていた。笑ったまま、ミスティアから手を放してゆっくりと、その目を向けている。  ミスティアは一瞬だけ喪失感を感じながら、立ち上がり、胸に手を添える。  そして、ミスティア・ローレライの鎮魂歌が始まる。   道往く人よ 還らぬ人よ その先の終りを知る人よ   ――私が守れなかった貴方へ。   私が一人愛した人よ   ――私が唯一愛した貴方へ。   その身 廻り廻って還ろうとも   ――貴方が戻らぬと知った後も。   私は永久に貴方を想おう 私が永久に貴方を愛そう   ――私は貴方が好き。   次なる生が如何なれど   ――永遠に。   貴方が私を望むというのなら   ――死が貴方と同じ世界へ私を導くまで。   私はそれに尽くしましょう   ――忘れたりしないから。   故に 次なる生を謳歌するべく   ――また会おうね。   今は只 私の中で眠りへ堕ちよ   ――待ってるから。   愛しき人よ  謳が終わる、未練も終わる。  ミスティアの目の前に、霊魂から淡い光が広がっていった。 ――愛している。  囁きと共に、青年の温もりがミスティアを包んでいく。 「未練は晴れたようね」  幽々子の呟きが漏れ聞こえる。  その言葉にミスティアは確信を得た。愛するものを、救うことができたのだと。  光の薄まったその先には、のっぺりとした一つの魂がある。 「そんな姿になって、いってらっしゃいのキスもできないじゃない」  涙声が漏れる。  慌てながらおどけたことを言ってみても、ミスティアの心は晴れたりしない。  今度こそもう終りなのだ。  それを見兼ねたように、魂がゆっくりとミスティアの額に触れる。 ――待っていて、くれるんだろう? 「うん、待ってるから」  水滴が零れ落ちるような音が、やけに大きく響いて。  ミスティアの目の前から、魂は消え失せた。  ◆ 「……成仏したの?」 「転生したのよ」  呆然と音の余韻に浸りながら、霊夢が問いを溢す。  返答しながら、幽々子は薄く笑ってミスティアへと向き直った。 「素晴らしい謳だったわ」  何人か釣られて成仏してた程にね、と薄く笑って扇を開く。  その目は異様な雰囲気を纏いながら、ミスティアを包むように見つめていた。 「さて、約束は覚えているわよね?」  そして、死を口にする。  三者の瞳が、幽々子へと向けられた。 「しかし、幽々子様……」 「あらあら妖夢、情でもかけるつもり? だから未熟なの、甘く見られるの。一つの例外は他者に付け込まれるわ、故にこの契約は覆らない」  一つ許せば他に示しがつかなくなる。  目の前の者にだけ情を与えるなど、あってはならないことだと幽々子は言う。  妖夢に返す言葉など存在しなかっただろう。  それでも、黙したまま拳を握り、認められぬ秩序に顔を歪めてくれていた。 「ありがとう。そして、約束は守るわよ」 「そう、良い覚悟ね。妖夢にも見習ってほしいくらいだわ」  微笑と共に、幽々子は扇を構える。  ミスティアはゆっくりと目を閉じた。残された未練は、青年との約束くらいだろうか。  閻魔様に叱られるだろうなと考えながら、ゆっくりと、訪れる死を待ち続ける。 「はい、止め」  響く声に、ミスティアの目が薄く開かれる。  目の前では霊夢が符を構えて幽々子の扇子の前に立ち塞がっていた。  その不思議な光景を前に、ミスティアと共に妖夢もまた、目を丸くする。 「どういうつもりかしら? まさか、博麗が妖怪を庇うなんてことはないでしょう?」 「ないわね、私はただ契約違反を取り締まってるだけだし」  契約違反、その言葉にミスティアは首を傾げる。  ミスティアの思う限り、幽々子は違反など行っていない。  この石段を登る代わりに、事を終えた自分の命を差し出す。  違和感の欠片も―― 「私達はさっきの場所から進んでないし、むしろ下がってるもの」 「……あ」 ――欠片が、あった。  否、あったというよりは、無理矢理に穿り出されたと言うべきだろう。  小さな声をあげながら、妖夢の顔が幽々子へと向いている。 「それで、私が納得するとでも?」 「しないの?」  符を生暖かい風に揺らしながら、霊夢はとぼけたように言った。  単純な威力行使の脅しだと、その場に居た全員が理解する。 「……やられたわね、今回だけよ?」 「二度とあんたと交渉する気はないわ」 「奇遇ね、私もよ」  二人して笑顔を浮かべあう。不気味だった。  これでいいのかと、ミスティアは霊夢を見上げる。  視界の端では同じように、妖夢が幽々子を見上げていた。 「さて、帰って寝るわよ。私は疲れたわ」  言いながら、初めて霊夢は朗らかに笑って、ミスティアの肩を掴む。  妙な浮遊感をミスティアが感じたときには、既に幽々子達は小さく見えるところだった。 「……妖夢、覚えておきなさい」 「博麗は厄介ってことですか?」 「未熟者。我侭っていうのはね、ああやって通すものなのよ」 「……はぁ」  呟きは風の中に消えていく。  生真面目な従者に、今日も幽々子の教育は行き届かない。  ◆ 「八目二串くださーい」 「はいはーい」  暗く怪しい森の中、光る赤提灯が屋台を照らす。  そんな中で、ミスティアは鼻歌を歌いながら客の相手をしていた。 「いやー、あんた良い歌を歌うねぇ。酒が進むったらありゃしねぇ」 「あはは、どうもー」  あれから暫くして、ミスティアは屋台を再開した。  幸い、青年の家は人里から離れていた為、ミスティアはそこへ住み込むようになる。  日常は元の形へと戻り、また同じように時を刻んでいくのだ。 「その歌、なんか哀しい雰囲気だな。でも、不思議と心地良い」 「うん、大切な歌なんだ。歌ってないと忘れちゃうから」  一つ変わったのは、夜雀の屋台に毎回必ず歌われる歌が加わったことくらいだろうか。 「そういえば、この前生まれたうちのガキ産声がすげえ綺麗な声でよ、透き通った歌声を持った歌聖になるだろうって里でも噂なんでさぁ」 「……そうなんだ」 「へへ、うちの自慢の息子だぜ」 「それなら早く帰っておやりよ」 「そうだな、今日はこれくらいで引き上げだぁ。お勘定置いとくよ」  去り往く千鳥足に笑みを浮かべながら、ミスティアは目を細める。  その視線の先に、異常な影が蠢いていた。 「“イルスタードダイブ”」  瞬間、千鳥足の客の悲鳴と交わりながら、妖怪の悲鳴が上がる。  急ぎ逃げ出す人間を見つめながら、ミスティアは笑みを浮かべた。 「早く飲めるくらいに大きくなっておいでなさい」  ミスティアは一人歌を歌い始める。  待ち人に届ける為の誘う歌に交わりながら、あの日の歌を歌いだす。  そのたいせつなうたが届くのは、そう遠くないのかもしれない。  了


「まったく、機を伺って魂を連れて来いだなんて、私達は楽団なのに」 「お得意様の頼みだもの、仕方ないでしょう?」 「それより、あの歌……」 幽霊楽団の眼下にて、一人の鳥妖が歌を囀っている。 それは只一人の為に歌われる透き通った鎮魂歌。 「綺麗ね、とても」 「……次のライヴの構成を変更するわ。メルランのソロパートを私のソロに変更」 「えー、姉さんずるいっ!」 黒の衣を纏う少女に白の少女が声をあげる。 そんな声を涼しげに聞き流しながら、黒の少女は言葉を続けた。 「それと、次のライヴはボーカル付きよ。久しぶりに本気で演奏れるわ」 「やれるって……姉さんが本気になったら大変なことに……」 「んじゃ、私は後であの子スカウトしてくるね。知り合いだから楽勝よ」 黒が怪しく笑い、白は怯え竦み、赤が無邪気に笑っていた。 後日行われた幽霊楽団のライヴにて、大量のうつ病患者が発生したのはまた別の話である。  ■ 後日談、博麗神社宴会場にて。 「それで、なんであんな回りくどいことをしたのよ。どうせ最初からああするつもりだったんなら普通に通せばいいのに」 「借り一ということにしとくわ。あのときにも言ったけど、普通に通したら示しがつかないもの」 「本当に、それだけかしら」 「そうねぇ、後は妖夢の授業料って所かしら。我侭の通し方の見本ね」 「絶対に気づいてないわよ、あの子」 「あらあら。それで、あなたはなんであの雀の味方をしていたのかしら?」 「……そうね、表情かしら」 「意味が分からないわ」 「分からなくていい、さて、こんな辛気臭いところで飲むのも嫌ね」 「想い人の隣りで飲むのが美味しいわよぅ」 「殺すわ」 「死んでますの」 ■作者からのメッセージ たいせつなうた。の最終章です。ようやく書き終わりました。 プチに浮気したりといろいろしてたせいでだいぶ遅れてしまいましたね……すみません;; たぶんこれが私の書きたかったハッピーエンドなんだと思います。 口に合わなかった方には頭を下げるしかありません。精進します。 さて、間が空いてしまったこの作品、読んでくださった方には多大な感謝を。 ありがとうございました。



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