“たいせつなうた。−彼岸回帰−”

作:眼帯兎






 博麗の巫女だって人間だ、生きる為には糧となる餌食を必要とする。

 となれば村人から求めるしかない。そして、その対価が妖怪の退治であることは当然のことだ。

 結果、博麗霊夢は雨雲の広がる森の中を歩くことになっている。





 冷たい雨に包まれた森は不快としか言いようが無かった。

 そんな鬱陶しいほどに生い茂った木々を抜けて、霊夢は勘だけを頼りに捜索を続けていく。

 手を抜いているようにも見えるかもしれないが、実際この方法が一番的確で早いのである。

 その証拠に、霊夢の目の前には大きな妖怪が居るのだから。


「……博麗か」


 やけにしわがれた声で妖怪は言った。

 それに対して、霊夢は無言で肯定を促がす。話すことなど何もなかったのだ。

 妖怪は諦めたように笑っていた。それは、博麗という絶対規律を前にして生き残ることは無いと知る者の表情。

 死から抗えぬことを知りながら、それでも抵抗する気はあるらしく、背中に生えた大きな翼を広げて妖怪は咆哮した。

――死んでたまるか。

 言葉にもならない奇怪な叫びはそうも聞こえた。

 普段なら懲らしめる程度でも良かっただろう。人を襲う、それは妖怪として仕方ないことなのだから。

 しかし、この妖怪はルールを破ってしまった。度々人里に出向き、多くの人を攫ってしまった。

 それだけ派手なことをしてしまったのだ。村人がこの妖怪を憎んで博麗の巫女に助けを求めるのは道理というものだろう。


「大人しく迷い人でも捕らえて我慢してればよかったのよ」
「この身体に、その少々では足りんのだ」
「身の程を知ることね、獣でも食ってなさい」
「私が喰らうのは獣さ、人間という種のな」


 そして、最初で最後の会話は終わりを告げた。

 目の前の妖怪は死力を尽くして向ってくる。霊夢はそれを全力で迎え入れる。

 いつも通りの博麗としての役目、いつも通りの憎悪の押収。

 これが、博麗の巫女に与えられた役割の中で結界の維持の次に求められる行為なのだ。


「――あ」


 与えられる死は一瞬だった。

 霊夢は手を抜かない、故に並みの妖怪ならば一撃の下に勝敗は決する。

 それは“弾幕ごっこ”とは懸け離れて見える“本気の弾幕ごっこ”だ。

 妖怪は霊夢の鼻先で座したままその牙を止めていた。

 そのすぐ下を細い指に挟まれた針が霊符ごと妖怪を貫いている。

 首筋を一突き、助かるようには見えなかった。


「あ――あ……やはり、私は呪いを貰っていたか」


 止め処なく流れ出る血に咽ながら、妖怪はうわ言のように呪を口にした。

 もちろん、霊夢に分かるわけがない。

 己の血に溺れながら怯えたように呪われたと口にする妖怪は、霊夢の瞳には異常に映るだけだ。


「助けたのに、差し出したのに、なんで――」


 懇願のような言葉を最後に、妖怪は絶命した。

 その真意は霊夢には分からない、この骸にしか分からない。

 それならば、分かろうとする必要も無いと霊夢は思う。

 故に、自然な動きで首を綺麗に刈り取ると、残った骸を雨に濡れた泥の中へと埋葬してやった。

 この首は恐らく、村人の手によって墓前に添えられて無残に叩き割られるだろう。

 身体の埋葬はそれをよく知る霊夢にとっての欠片ほどの慈悲だ。

 森を包む雨は深まるばかりだった。


「まだ何かいる……」


 水を吸って張り付く衣服を不快に思う端で、霊夢の勘が何かを捕らえていた。

 その瞳に映る先は暗い獣道。無言のまま霊夢は泥を踏みしめて歩き出す。

 帰路ではなく、狂気の残留が香る獣道へと。





 いつの間にか雨は衰えて、雨雲は徐々に晴れていった。

 そんな雨上がりの暗い森の僅かに披けた場所にその少女はいた。

 辺りには先の雨にも消しきれないほどの血の匂いが漂っている。

 霊夢は一度だけ会ったことのある少女を思い出す。

 思い描かれたその姿は、目の前に居る少女とは別人のようにも思えた。

 その顔は無表情で、そこには生物としての命さえも感じられない。

 まるで怒りや悲しみといった感情が多種多様に混ざり合い、純粋な黒となったような。

 何もかも亡くしたような酷い表情だった。





 少女は月明かりに照らされながら紅い涙を一筋流すと、黙したまま霊夢へと瞳を向けた。

 そこに感情の色はない、ただ血の色で紅く染まっている。

 そして、少女はただ一言、擦れた声で呟いた。

――ありがとう。

 その顔に、本当に僅かな安らぎを得て、少女は瞳を閉じる。

 それが、いつか見た鏡の中の景色を思い出させて、霊夢は静かに歯を食いしばった。


「……面倒くさいわね」


 本当に面倒くさそうに呟いて、霊夢は妖怪の首以上に重い荷物を背負う。

 背に担いだ少女の身体は、この雨よりはまだ温かいものだった。





 ◆





 目覚めると、そこは何処かの室内のようだった。

 見上げる煤けた天井から埃臭い木の香りが降りてくる。

 まだ朦朧とする意識の中で、死後の世界はやけに所帯じみて古臭いものだとミスティア・ローレライは思った。


「起きたのね、気分はどう?」


 故に、聞き覚えのある声にミスティアは慌てて目を向けた。

 あの雨の中、微かに見えた巫女の装束が目に映る。


「博麗……霊夢……?」


 ぼんやりと視界に映る霊夢は何も言わず、ミスティアを一瞥すると廊下を去っていった。

 ミスティアは慌ててそれを追おうとするが、身体に走った痛みに顔を歪めるに留まる。

 ふと己の身体を見てみると、折れた翼には新しい包帯が巻かれ、所々に手当ての跡があった。

 あの博麗が妖怪を助けた。

 その事実は、妖怪であるミスティアにとって信じられるものではなかった。

 しかし、事実としてミスティアはまだ生きている。

 身体を支配していた呪いは薄れ、見下げた布団の中に愛しい者の姿はもうなかった。





 陽光が差し込む部屋を抜け出して、長い廊下を進んでいく。

 広い神社の敷地の中に人気はまったくない。

 人手の足りないこの場所は掃除の行き届いてないところも多々見受けられて、それがより一層に寂しく見えた。

 博麗神社、妖怪を律する巫女の住まう場所。結界を守る不可侵の聖地。

 妖怪はもちろん、人間だって近づこうとはしない。

 そんな寂しい建物の一室で、いつもと同じ紅白の巫女服に包まれた霊夢が座っていた。

 虚空を見上げる霊夢を前に、ミスティアは暫しの間呆けていた。

 恐らくは、問うべきか、礼を言うべきか、もしくは挨拶からするべきか。そんなことを考えていたのだと思う。


「そんなところに立ってないで、座ってなさい」
「あ……うん」


 しかし、一向に纏まらないミスティアの思考は霊夢の一言に打ち消された。

 霊夢はミスティアを見ることなく立ち上がると、奥の部屋へと入っていく。

 一人取り残されたミスティアは、仕方が無く部屋に入ると卓袱台の前に足を崩した。

 部屋の中は何の音もしなかった。

 明かりは縁側から伸びる日の光だけで。

 騒がしい森の朝とは違う不思議な雰囲気は、朦朧とした意識に死後の世界を連想させる。

 そんな不気味なほどの静寂が、何故かとても居心地が良く思えた。


「食欲はあるの?」


 ぼんやりとミスティアが外を眺めていると、その背後から霊夢の声がかかった。

 振り向く先にはお盆を持った霊夢がミスティアを見下ろしている。

 ミスティアが軽く頷いて見せると、霊夢は少し微笑んで、卓袱台に椀を並べていった。


「まぁ、丸一日寝込んでいたらお腹も空くでしょうね」
「……え?」
「ずっと起きなかったから、勝手に着替えさせたわよ」
「あ、ありがとう」


 丸一日、その言葉にミスティアに納得する。

 脱力した身体は、そのくせ酷く空腹を訴えていた。


――あんなにも、愛する者を貪ったくせに。


 突然と激しい目眩がミスティアを襲った。

 紅い光景が幻視される。

 暗い森、冷たくなった骸、叩きつける様な雨、骸から流れた赤い血、紅い月。

 息が荒い、頭が痛い、呪いが甦ってきたかのように身体中が重みを増していく。

   ミスティアは身体を丸めるように蹲り、胃から込み上げてくるものを必死で抑えた。

 湧き上がってくる黒い意識を、ミスティアは抑えることなど出来なかった。

 罪悪感が責めたててくる、道徳観が否定してくる、自分はそれを否定できない。

 内側から責めてくる言葉を、ミスティアは受け止めることも、投げ捨てることもできない。

 そんな壊れた回路がミスティアの心を蝕んでいく。

 それは削るなんて生易しい表現ではなく、確実にミスティアを壊していった。


「はぁっ! ぐっ……ぁぅ……ぅ……あ?」


 不意に、苦痛と吐き気に囚われた身体に何かが触れる。

 顔を上げると、霊夢が手桶を持ってミスティアの背中を擦っていた。

 母のように優しいその感触に我慢しきれなくなって、胃から込み上げてきたものを手桶に流す。

 惨めに思う意識の端で、背を撫でる優しい手が不思議と身体の痛みを消していくのをミスティアは感じていた。





  「……ありがとう、治まった」


 桶から顔を上げて、差し出された手拭いで口を拭いながらミスティアは礼を口にした。

 霊夢は興味なさそうにそれを受ける。


「……ごめん。やっぱり食べれそうもない」
「お腹が空いているなら、無理してでも食べなさい」


 言った端から、霊夢は湯気の昇る椀をミスティアに差し出す。

 突きつけられて、思わず受け取った椀には粥が一掬いほど盛られていた。

 ミスティアは粥を見下ろしながら、吸い寄せられるように一口掬ってそれを眺めた。

 妙な近視感を感じながら、食を拒む胃の中に一口、粥を流し込んだ。

 喉を落ちていく優しい味が、苦痛を少しだけ和らげていく。


「――あ」


 ミスティアはいつの間にか泣いていた。

 泣きながら、再び粥を掬っては口へと運んでいく。

 その味は優しくて、あの夜の悲しみが甦るようで、ただ涙が溢れてきた。

 目の前にいる霊夢は何も言わず、ミスティアを見つめている。

 それが、彼女なりの優しさだったのかもしれない。

 満たされていくようで、けして満たされない部分を感じながらミスティアは泣き続けた。

 抑えられた鳴き声が、やけに静かな神社の中に響いていく。





 ◇





「……何も聞かないのね」
「聞いてほしいなら聞くけど」
「――なんで殺さなかったの?」


 赤い目をしたミスティアが椀の片された卓袱台を挟んで座る霊夢に問う。

 その問いに、霊夢は何も答えずに茶を啜っていた。


「殺してくれれば良かった」
「悪いわね、殺すのは一日一妖までって決めてたの」


 無関心を装った返答。しかし、霊夢の表情には僅かに険が混じっていた。

 それでも、ミスティアは言葉を止めない。


「私は、人間を食べたわ」
「そう、私は昨日鳥を食べたわ。美味しかった」
「そんなんじゃない。私は、愛した人間を食べたのよ」


 自虐的な感傷行為、それを理解しながらもミスティアは薄く笑った。

 霊夢は相変わらず興味のなさそうに、それでもしっかりとミスティアを見つめている。


「それで、死にたいの?」


 とても軽く、霊夢は死を口にした。

 それは確認のようで、否定しているようにも聞こえる。


「……分からない。もう、どうすればいいのか」
「そう」


 短い答えに、残るのは沈黙だけだった。

 ミスティアは本当に、どうしていいのか分からなくなっていた。

 後を追って死ねばいいのか。贖罪の為に何かをすればいいのか。

 青年の記憶が薄れるまで、今までと同じく暮らしていけばいいのか。

 考え付くことは全て出来そうもなかった。


――それなら、そいつにもう一度会ってみればいいじゃない。


 迷走する思考の最中、突然と聞こえた声にミスティアは顔を跳ね上げた。

 声は霊夢のものではない、当然ミスティアのものでもない。

 だとしたら誰なのか、その答えはすぐにミスティアの眼に映った。


「こんにちは」


 縁側から見える手入れの半端な庭先。そこには一人の妖怪が立っていた。

 景色に溶け込むように、チェックのベストとお揃いのスカート姿で楽しげに日傘を弄んでいる。

 場違いなその姿は風見幽香、四季の花を操る大妖怪のそれだった。

 自称幻想郷最強。その自称もあながち嘘には思えないほどにその力は強大である。


「あんた、何しにきたのよ。また何かする気?」


 そんな大妖のにこやかな挨拶にミスティアは応えず、霊夢だけが素っ気なく返答する。


「いえいえ、今日はそこの雀に用があるのよ」


 微笑みながら幽香は眼を細める。

 その姿に、ミスティアは目を見開いてただ震え上がっていた。

 陽気な態度とは似つかない膨大な妖気が、逃げ場の無い身体に向けられているのだ。

 ミスティアでなくても、並みの妖怪ならば同じ、もしくはそれ以上の恐怖に肝を潰しただろう。

 記憶に新しい花の異変、ただ出会っただけで玩具のようにあしらわれたのだ。

 そんな妖怪が自分に用事がある。それ聞いただけで絶望を浮かべてしまうのは当然のことかもしれない。

 一歩、幽香が歩を進める。それだけでミスティアは死が一つ進んできたように感じた。

 幽香は止まることなくミスティアへと近づいていく。

 その一歩ごとに足元から花が芽を出し咲き乱れる様は冗談としか思えなかった。


「……あら」


 止まらないと思われたその歩みを、他ならぬ幽香自身が止める。

 幽香は不思議そうに虚空を見下ろして、そっと腕を突き出して見せた。

 瞬間、紫電が幽香の指先を弾き、血が虚空に投げ出されると同時に蒸発する。

 次から次へと起こる現象に、ミスティアにはもはや何が起きているのかも理解できなかった。

 幽香は傷のついた指先を艶かしく舌で舐め取りながら、初めて霊夢へと視線を向ける。


「霊夢、邪魔しないで頂戴」


 言葉に、ミスティアは思わず霊夢の方へと眼を向けた。

 相変わらず興味無さそうにお茶を啜りながらも、霊夢の手には符が一枚握られている。


「威嚇にもならないわよ、こんなもの」
「もう一歩踏み込めば、本当の威嚇に触れるわよ」


 試してみろ、そう指示するような霊夢の言葉に幽香は僅かに肩を竦めてみせた。


「まぁいいわ、用件は此処からでも言えるし」
「最初からそうしなさい」
「お客はもてなすものよ?」
「招いてないからアンタは客じゃない」


 もう一度肩を竦めて、幽香は視線をミスティアへと戻す。

 まともに眼を合わせたミスティアは、もはや口の聞ける状態ではなかった。

 そんな様子をいやらしく笑ってみせて、幽香はようやくミスティアへと語りかけた。


「さて、もう一度言うけど。それならそいつに会って話せばいいじゃない?」
「――え?」


 気軽に、当たり前のことを告げるように幽香は告げた。

 死んだ者にもう一度会う。そんな馬鹿げたことを薄く笑いながら口にする。

 受け取り方によっては馬鹿にしているとも思える言葉に、ミスティアは縋るように眼を向けた。

「そんなことが、できるの?」
「できるわよぅ、三途の川まで行けばいいだけじゃない」


 微笑を崩すことなく、幽香は言った。

 死者が渡る三途の川辺、確かに赴けば出会うことはできるかもしれない。

 しかし、会えるともいえない。既に川を渡り終えていればそれまでなのだ。

 それでも、ミスティアの心は既に決まっていた。


「お願いします……その場所を教えてください」


 実力の桁が違う相手との交渉。それは無茶な要求が罷り通るものだ。

 しかし、己の身体を捧げてでも聞き出す覚悟がミスティアにはある。

 眼を見開き、精一杯の力を振り絞って幽香と相対すると、ミスティアは静かに頭を下げた。


「いいわよ、その為に来たのだから」


 決死の覚悟とは裏腹に、呆れるほど気楽に発せられた答えにミスティアは頭を真っ白にして首をかしげた。

 面識なんてない大妖怪がいとも簡単に救いの手を差し伸べる。

 けして、在り得ることではなかった。


「アンタ、何を企んでるのよ」
「特に何も、気まぐれかしらね」


 その疑問を、ミスティアの代わりに霊夢が問う。

 即座に返された言葉は、極めて胡散臭いものだった。

 しかし、それでさえミスティアは縋るように口にする。


「お願いします、私を連れて行ってください」


 幽香は眼を細めて妖艶に笑いながら、頷くことで事の承諾を表した。

 



 ◆





「何で着いて来るのよ」
「あんな胡散臭い話を目の前でされたら、何か企んでるとしか思えないじゃないのよ」
「勘が、そう言っている?」


 その言葉に、霊夢は口を閉ざした。

 楽しげにそれを見つめる幽香はスイスイと先へと進んでいく。

 翼が折れて使い物にならないミスティアは、霊夢に抱えられて飛んでいる。


「ごめんね、霊夢」


 ミスティアはもう一度霊夢を見上げながら、礼の言葉を呟く。

 霊夢はやはり興味無さげに目を背けながら、聞こえていないふりをしているようだった。





 暫くの間幽香と霊夢の皮肉の押収が続くと、あたりに嫌な空気が混じり始めた。

 表現するなら辛気臭い。まるで墓地にいるような感覚が身を包むように感じられる。

 曖昧な結界のようなものを抜けた先に、そこはあった。


「……そろそろね」
「前に来た時は何も考えずに来られたけど、結構遠いのね」


 疎らに咲く彼岸花が、ミスティアの目にも飛び込んでくる。

 少し前に見たときよりは随分と数は減っているものの、雰囲気は相変わらずだった。

 彼岸花、名の示すとおり彼岸に咲くこの花の咲き乱れる地は三途の川と呼ばれている。


「見つけたわ、船渡し」


 大きな川の流れが目に入ると、幽香が小さく呟く。

 その視線の先を追うと、川辺の岩に腰掛ける人影が目に付いた。

 人影は大きな鎌を担ぎながら、二つに分かれたお下げを揺らしている。

 幽香が先導して下降すると、霊夢もまた、それに続いて小石の積まれた不気味な川辺に降り立った。


「善処してないみたいね、悲しいわぁ」
「――わっ!?」


 先行していた幽香は岩場にあった人影に話しかけているようだ。

 ミスティアはそこに立つ覚えの在る顔を思い出す。小野塚小町、たしかそう名乗った死神だった。


「何故サボっているのかしら。勝手に花が咲くのは気に食わないって言ったはずなのに」
「い、いやっ!これはただの休憩で……」
「言い訳は嫌いなのよ」


 とても良い笑顔で、幽香は小町を責め、苛めていた。

 霊夢は我関せずといった表情でそれを見ている。

 そんな霊夢に目をつけ、目で助けを求める小町はとても哀れに映った。


「と、とにかく!何しに来たんだい。自殺なら……」
「はいはい、それはもういいわ」


 困り果てた小町は幽香を交わして霊夢へと駆け寄ってきた。

 その後ろで、幽香はとても良い笑顔をしていたがミスティアは見て見ぬ振りをする。

 触らぬ大妖怪に祟りは少ないのだ。

 そんなことを思いながら、目だけを動かして川辺を見回すと、そこには霊魂がいくつか見受けられた。

 そこに、見覚えの在る者は居ない。


「あの、此処にいる魂は、これだけなんですか?」
「あぁ、今日のノルマはこれだけだが……どうしたんだ?」


 幽香に肩を掴まれながら、ようやく脱出口を見つけたと言わんばかりに、小町はミスティアに顔を寄せた。

 その問いに、ミスティアは簡潔に人を探しているとだけ伝える。

 しかし、毎日多くの魂を運んでいる小町に、特徴を説明しても検討などつく筈も無い。


「悪いけど、覚えてないよ……よっぽど不思議な奴じゃなきゃさ」
「そう……ですか」


 甘くは無かった、そもそも自分は青年に会って何をしようとしたのかとミスティアは思い悩む。

 許しを請うのか、泣きながら別れを言うのか、ミスティアはやはり、未だにするべき事を見出せずにいる。

 三者共に交わす言葉は無く、三途の川辺に沈黙が流れていく。


「――小町、また手を休めていますね」


 そこへ、沈黙を破る少女の声が訪れた。

 霊夢は露骨に嫌な顔を浮かべ、幽香は薄く笑っている。

 そして、小町は顔を青くしながら怯えたようにその名前を呼んだ。


「四季様、これは……その……」
「言い訳は聞き飽きました! あなたは近頃すぐ手を抜くようになって!」
「あ、あの、これには訳がありまして!」


 一度だけ見たその顔は四季映姫・ヤマザナドゥ。

 閻魔と名乗ったその少女は、過去にミスティアに説教をしていった少女だ。

 そういえば映姫とはここで会ったのだと、ミスティアは微かに思い出していた。


「……あら、珍しい顔が揃っていますね」
「今頃気づいたのね」
「すみません、私事を優先させました」


 微笑みながら、映姫はミスティアに目を向ける。

 瞬間、その瞳は優しいものから、とたんに厳しいものへと変わっていった。


「……あなたは、大きな罪を背負っていますね」


 手に持った錫を向けながら、映姫は冷たく言い放つ。

 睨み付けるようなその眼光に、ミスティアは頷きながらそれを認めた。


「そして、その罪に気づきながらも贖罪の方法を見出せずにいる」
「……はい」
「愛するものを食む、妖怪には少なくその罪は存在します。生きる為に、欲望の為に。しかし、あなたは違う。守るためと称して間違った選択をしてしまったのですね」


 間違っていた。そんなことは言われなくても分かっていた。痛いくらいに気づいていたのだ。

 慈悲などない映姫の言葉は、責めるようにミスティアへとぶつけられてくる。

 震える手を握り締め、歯を食いしばりながら、それでもミスティアは言葉に耳を傾けていた。


「あなたはあそこで負けてはいけなかった。立ち上がり、骸を埋葬すべきであった」
「――っ! 分かってるさ、そんなことくらい!」


 限界が訪れて、ミスティアは叫びを上げた。

 耐えられなかったのだ、その責め苦に。気づいていた傷跡を抉られることに。

 そして、ミスティアは純粋な問いを、映姫へと向けた。


「ねぇ――妖怪と人間が結ばれるのは、罪なんですか?」



 幸せを無情に取り上げられなければいけないほどに、いけないことだったのか。

 ただ、目の前の存在を好きになって、愛して、結ばれることが。大罪と成ってしまうのか。

 慟哭に近い叫びを受けて尚、映姫の表情は揺らぐことはない。


「そこに、罪はありません」
「じゃあ何で?  なんであの人は殺されたのよ! ……幸せを掴んだばかりなのに、失わなきゃいけなかったの?」
「死は、いつでも傍に有るのです」
「……運が悪かったとでもいうの?」


 運命。そんな言葉で片付けられるなんて、ミスティアには許せなかった。

 それでも納得してしまう。命の儚さをミスティアは理解している。

 ミスティアは、知りながらもそれを否定したかった。


「そうです、運が悪かったとしか言えません」
「――ふざけるな!」


 無情に突きつけられた言葉と同時に、ミスティアの手は映姫の顔面へと伸びていた。

 簡単に防がれてしまうような、感情に任せたままのそれを、映姫は避けようとはしない。

 乾いた音と共に、その衝撃は映姫の身体へと刺さった。

 二者を見守る三人は、ただそれを見つめている。

 一人は無情に、一妖は失笑しながら、死神は怒りを込めて歯を食いしばり、それぞれの思惑を二人に向けている。

 拳を突き出したまま、ミスティアの視界は涙で埋まっていった。

 それを前に、映姫は手を差し伸べることも、慰めを口にすることも無く。

 ただ一言、告げた。


「あなたに今できる善行は、その青年に会うことです」
「……どうやって会えばいいのよ。此処にも、もう居ないのに」


 その言葉に、ミスティアは顔を上げながら問う。

 映姫は初めて表情を崩しながら身を屈めてミスティアへと言葉を授ける。


「その者は、恐らく未練を持ったまま、冥界……白玉楼という場所に身を置いているはずです」
「……冥界?」
「私の裁きを受けた魂は、抱えた罪によって行くべき世界が決められます。彼は転生までの間、未練がなくなるまでは冥界に留まっているでしょう」


 白玉楼という場所に、ミスティアは記憶を辿っていく。

 幽霊楽団と呼ばれる三姉妹がよく演奏しているという場所だった。

 死者が集まる場所は一つではないことを、ミスティアは今更のように思い出す。


「本当に……そこに?」
「保障は出来ませんが、居るはずです」


 ミスティアは縋るように確認する。

 あの青年に、愛した人にもう一度会うことができる。

 しかし、ミスティアにはまだどうすればいいのか分からない。


「私は、彼に何て言えばいいんだろう……」
「前にも教えたのに、もう忘れてしまっていたのですか」


 独白のように溢したミスティアの言葉に、映姫は呆れたように呟く。

 やはり鳥の頭は小さいのですねと、余計なことを一つ加えながらその方法を再度伝える。


「歌ですよ」
「――あ」


 忘れていたものが湧き上がるような感覚と共に、静かなメロディーをミスティアは思い出していた。


「鎮魂歌……?」
「そうです、その人に鎮魂歌を捧げ、転生への未練を軽くすることが、あなたが唯一できる善行なのです」


 好きだといってくれた歌声。

 罪滅ぼしになるとは思いもしない、それでも愛する人の為にできることがあったのだ。

 そして、許してもらうとかではなく、謝らなければならない。

 守れなかったことを、間違えてしまったことを。

 ミスティアはようやく、認めていただけの罪を背負う。

 そして、それを償う方法は、その手の内にあったのだ。


「……ありがとうございます」


 映姫に精一杯に頭を下げて、ミスティアは礼と謝罪を口にした。

 ミスティアの視線の先に口元についた血の跡に気づいて、映姫は微笑みながらそれを拭う。

 優しく包むような笑顔。それは初めて浮かべた、彼女本来の笑みだったのかもしれない。


「さて、博麗の巫女は善行を行っているようですが。幽香さん?」


 映姫はその笑顔を崩しながら、見守っていた幽香へと目を向けた。

 幽香はとても楽しそうにその視線を受け流して微笑んでいる。


「あら、なんでしょう」
「弱者への暴力。未だに改めていないようですね?」
「えぇ、日課ですわ」
「まだ懲りてないのですか……貴女は」
「価値観の違いね、貴女にとって間違っていても私には正しいの。弱者の上には強者がいるのは自然な力の流れよ」
「いいえ、公平に物事を見極める私の能力が、貴女が間違っていると告げています」
「だから、それは世界にとってでしょう?」
「減らず口を……」
「一つしかないもの減ったら大変ですわ」
「このまま悔い改めないのなら、舌を抜かれて文字通り口が減りますよ」
「大丈夫、私の舌は二枚舌ですもの」


 嘲るように皮肉る幽香と相対して、映姫の管轄外の仕事が始まる。

 終わりそうも無い会話に、映姫が目を細め、幽香は微笑を深くする。


「……珍しく善行を行っていたので軽い説教で済ませようとも思いましたが、やはりキツイものが必要なようですね」
「あら、説教相手が違うでしょう? 大人しく死人相手に仕事をしてなさい」


 一触即発。そんな雰囲気が漂う中、幽香は僅かにミスティアへと目を向けた。


「行きなさい、元々私は案内するだけの予定だったのだから」


 微笑と共に告げるその声は、あの幽香とは信じられないほどに優しいものだった。

 だから、ミスティアは躊躇無く尋ねる。


「――何で助けてくれたの?」


 青年に尋ねたのと同じ質問。

 幽香はほんの少し考える素振を見せて、最初から答えが決まっていたかのように告げた。


「花達に頼まれたのよ、あなたを助けてくれってね」
「……花?」
「あの子達、随分とあなたを気に入ってるみたいよ」


 花に好かれている覚えはない。

 ミスティアには別に花を愛でる趣味もなければ、育てたこともなかった。

 首を傾げるミスティアに、幽香は似合わない優しい笑顔を向けている。


「歌が好きなのよ、あの子達」


――歌が好きなんだよ。


 その言葉に、少しだけ青年の声が似通って聞こえて。


「――ありがとう」


 涙を浮かべながら、ミスティアはもう一度、深く頭を下げた。

 幽香は面食らったようにそれを見て、少し顔を赤らめながら手を払う素振を見せながら早く行けと呟いた。

 瞬間、背後から肩を掴まれる。


「……行くんでしょ?」
「うん、お願い」


 霊夢はその場の誰にも挨拶を交わすことなく、浮遊を始める。

 眼下では弾幕ごっこを始めた二人と、両者に挟まれて叫びを上げる一人の死神が小さくなっていくのが見えた。

 見下ろしながら、再度礼を口にして、虚空を見上げる。

 視界の端に映る紫の桜が、その光をミスティアに向けているように見えた。


「……今度、歌いに来るね」


 振り向き、見通す空に浮かぶその門はそう遠くないところに浮かんでいた。















■作者からのメッセージ


 向日葵が咲き乱れる花畑に一人の妖怪が漂っていた。
 何をするでもなく、語りかけてくる花達の相手をしては微笑んでいる。
 そんな中で、一際大きな声で何かを求める花があった。
 興味を持って耳を傾けると、花は助けを求めていた。

 「あぁ、あの夜雀ね。あなた達の願いなら聞いてあげてもいいけど」

 妖怪は言葉を切って、向日葵の言葉に耳を傾ける。

 「そう、歌ねぇ……にしても、花畑一面からの救難信号とは、好かれたものね」

 妖怪は薄く笑って愛用の日傘をパタンと閉じると向日葵の向く先を見た。
 見覚えの在る神社、そこに助けを求められた夜雀がいるらしい。

 「面倒そう……」

 呟きと同時に、花畑から一人の妖怪が姿を消した。
 その様子に、隠れていた妖精が不思議そうに顔を出すと、残された弾幕が弾けて吹き飛ばされる。
 どんなときにも、あの妖怪は虐めっ子なのだった。


 ◆


 「たいせつなうた。」の続きとなるお話です。
 僅か24kbほどで分けてしまっているのですが此処で区切っておきたかったのでこういう形になりました。
 次で最後です、やはり長いものというのは大変ですね。長編SS作家さんはやはり尊敬します……



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