“懐かしき宴に並べる肩は”
作:眼帯兎
――本当に消えてしまうの?
「人間達は私達を忘れてしまった。ここにいる意味はもうない」
――そんなことない、きっとまた昔のように戻るよ。
「そう言って何年も経った。人は歪なまま進んでしまった。俺達を置いてな」
――でも。
「……もう、終わってしまったんだ。幻想郷の夢でさえ、鬼を忘れてしまったんだよ」
――まだ、私は終わってない。
「残ったとしても、辛いだけだぞ。仲間も俺達が最後だ。寂しがり屋のおまえさんが耐えられる世じゃない」
――でも、それでも。
「おまえさんは、人間に退治されたことがなかったなぁ」
――うん。
「……先に、行ってるぞ」
――あ。
「おまえさんがやろうとしているのは本当に辛いことだ。でもな、決めたなら諦めるな」
――わかってるよ。
「嘘吐きにはなるなよ」
じゃあな、萃香。
◇ ◆ ◇
とても懐かしくて、悲しい夢を見た気がした。
内容は覚えていない。ただぼんやりと、私が泣いている光景が浮かんだ。
身を起こして、私は目尻に残った涙の痕をそっと拭う。
――嘘吐きにはなるなよ。
そんな、仲間と交わした最後の約束が挫けそうになった心を優しく支えてくれた。
私はまだ、一人でも彼らを忘れずにいられる。覚えていてあげられる。
いつか彼らが戻るまで、孤独に耐えることができる。
不意に、障子から僅かな月明かりが漏れ出しているのが見えた。
私は音も立てずに立ち上がり、縁側へと向う。
近づくにつれて聞こえてくる虫たちの歌声が静寂に包まれた月夜を心地良いものにしていた。
無意識に私の手は酒の注がれた杯へと伸びる。
月を映した杯を傾けると、熱い液体が苦味だけを残して消えていった。
いつからだろうか、私は酒に酔うことがなくなってしまった。
原因は明確だ。だが、認めるわけにはいかない。
それを望んでしまったら、きっと私は耐えられなくなってしまう。
「そうだ、こんなときは」
唐突に思考を遮って、ある考えが浮かんだ。
――宴を開こうか。
◇ ◆ ◇
絶えなく地面を打つ音が響いている。
激しいわけではない、それでいて止みそうにない雨が幻想郷を包んでいた。
そんな灰色の空を見上げて、私は悪態をつく。
確実に昨日の夢が後を引いている。気分は最悪と言ってよかった。
そんな憂さを晴らすため、戯れに作っていた紙人形の首を刎ねていく。
最初から効果があるとも思っていなかったのだが、微かではあryが、沈んだ気持ちが晴れるような気がした。
「てるてる坊主にあたっても、この天気は変わらないわよ」
突然の声に振り返ると。紅白の巫女装束が目にはいった。
妖怪を討つ博霊の巫女、彼女はつまらなそうな顔を浮かべて私を見下ろしている。
不思議なことでもない、ここは彼女の住処なのだから。
「残念だったわね」
「――うん」
短いやり取りが終わり、縁側は沈黙で満たされた。
私と霊夢は静かに、黒雲が途切れることなく広がる空を見上げている。
「……寂しい?」
雨音に包まれた沈黙が静かに破られる。
静寂に響いたその声は哀れみや慰めではない。
優しさだけが微かに含まれた、彼女らしい問いだった。
「そうだね、ちょっとだけ残念かな」
だからこそ、素直にそう答えることができる。
強がりを言わせることのない彼女の言葉のおかげで、この冷たい雨への恨みも少しだけ晴れた気がした。
――違う。
突然聞こえた否定の言葉に驚いて、私は彼女の方へと振り返った。
いつもと違う、冷たい雰囲気を纏った彼女は無表情で私を見下ろしている。
それは完全な無表情ではない、微かな哀れみのようなものが含まれていた。
私の知る霊夢はこんな表情を見せたことはない。
愚か者を見るような、そんな目で私を見つめたことは初めてだった。
私は、何か彼女を失望させるようなことを言ってしまったのだろうか。
「ねぇ、萃香……貴女本当に酔ったことないでしょう。少なくとも、ここに来てからは一度も」
「……え?」
先程の言葉とはまったく関係ないような問いに、思わず情けない声を漏らしてしまう。
脈絡のない彼女の方こそ酔っているのではないかと顔を覗いてみる。
しかし、依然その真剣な表情は崩れていなかった。
「私がいつも何を飲んでると思うの? 酔うに……決まってるじゃない」
「――嘘吐き」
曖昧に答えたそれを、彼女は一言の元に切り捨てる。
嘘吐きだと、鬼である私に言ってのけたのだ。
息が荒くなり、酸素不足の脳が思考に真っ白なフィルターをかける。
何故だろうか、彼女に嘘吐きと呼ばれるのが身を裂かれる程に苦しい。
縁側に人を押し倒す音が響く。
「ふざけたことを言うな! 鬼は人間に嘘を吐かない!」
私は叫び、彼女に馬乗りになっていた。
巫女の服がはだけて、彼女白い肌がその姿を現している。
直後に私は後悔した。
怯えや怒りが彼女に浮かんでいたのならまだ救われる。
しかし、彼女はひたすらに無表情。羞恥の情さえ、今の彼女には存在しない。
その瞳にも感情の色は浮かばない。
それは、この責め苦がまだ続くことを意味していた。
「本当に? 貴女は一人のときは辛そうに酒を飲んでいたわ。皆がいるときも無理して騒いでいるようだった」
「……そんなことない」
「嘘吐き。貴女はいつも一人で泣きそうな顔をしていた。宴会をしたがるのは紛らわすため? 同属としたことを真似ているのよね」
「――やめてよ」
彼女の言葉は全て私を見透かしたように深く、私の心をさらっていく。
弱い部分を確実に引き出していく。
気づけば私は泣いていた。泣きながら、この腕を振り上げる。
「――どうしたの?」
問われる。
振り上げたままの手の向う先を。
やれるわけが、ない。
「巫女は生贄、昔から変わりはしない。何を躊躇うの?」
止めて欲しかった。
そんな、受け入れるような目で見られたら、私は。
「萃香、私は……」
言葉が途切れた。
此処に来て初めて霊夢の声に驚きが混じる。
私は唇で彼女の口を塞いだまま、泣き続けていた。
涙が頬を流れて、口の中にしょっぱい味が広がる。
霊夢はそのまま行為を受け入れて、頭を撫でてくれていた。
涙は止まらない。
◇ ◆ ◇
結局雨は上がらず、私は表を眺めながら自己嫌悪に苛まされていた。
押し倒した上に唇を奪って、惨めに泣きじゃくって。
それさえ受け入れてくれた彼女に声を出さず謝り続ける。
私は惨めなのだった。
「いつまでそうしてるのよ……まるで私が襲ったみたいじゃない」
背後から近づく気配に肩が跳ねた。
コトリ、と湯飲みが置かれる音が聞こえるが。
隣に座る彼女の顔を見ることができない。
「霊夢……ごめん」
顔を見れないまま、何度目かの謝罪をする。
返事はない、代わりに聞き飽きたとでも言うような溜め息が聞こえた。
サラサラと弱い雨が続き、沈黙の間に水音が響く。
二人して話すことなく庭を見つめている。
聞こえるのは雨音と茶を啜る音だけだ。
「……萃香」
いつもと同じ、怒気も哀れみも混じらない彼女の声で沈黙は終わった。
私は沈黙を続けたままで、彼女へと目をやる。
霊夢は虚空を見上げたまま、言葉を続けた。
「人間はね……食を共にし、寝床を同じくする者を家族と呼ぶわ」
「――はぁ?」
「……つまり、あんたは私の家族ってところかしらね」
言って、顔を背けて湯飲みを手にする。
彼女は珍しく顔を赤くして、恥ずかしがっているように見えた。
なんとなく、反則だと思う。
「私が――いるから」
視界が滲んで、涙がこぼれる。
不思議と、涙しているのに悲しくはない。
ただひたすらに、心へ温かい何かが沸きあがるようで。
温かい涙が止まることなく溢れてくる。
溜まらず、私はまた彼女の胸を借りることになってしまった。
――寂しい?
頭を撫でられながら、優しく問われた。
震える声では言うこともできず、私はただ首を振ることしかできなかった。
◇ ◆ ◇
「……萃香」
「ん、もう少し」
顔を埋めたままねだる。
鬼とは思えないほど甘えた態度で、私は霊夢の身体を堪能していた。
それでも彼女は変わらぬ声で制してくる。
「でも“魔理沙達が見てるわよ”?」
メイドも居ないのに、私の時が止まった気がした。
今、彼女はなんと言ったのだろうか。真っ白になった頭で言葉を咀嚼する。
辿り着いた最悪の答えを確かめる為に、私は錆びついたか人形のようにぎこちなく顔を上げた。
「子鬼は甘えん坊だな、おい」
「魔理沙、そんなにじっと見ちゃ駄目よ」
「……子鬼の弱点は巫女かしら?」
一人は不敵に笑いながら、一人は顔を赤らめながらも目を離さず、一人は興味の無いように嘲りながら。
霊夢に抱きついた私を三人の魔女が見下ろしていた。
喉から脳天まで、ゆっくりと熱が上がっていくのを感じる。
恐らく私はダルマのように真っ赤な顔で彼女達を見上げているのだろう。
「……これは 「これは貸しだからね、スカーレットデビル」」
「……わかってるわよ」
無駄だと思いつつも弁解しようと口を開いた瞬間だった。
古くから見知った顔が空間を切り裂いて顔を覗かせる。
その背後には生意気なお嬢様とメイドまで後を控えていた。
「――あらあら萃香、言ってくれればいくらでも私の胸を貸したのに」
「あら、これは何処の小童かねぇ?」
古き友は最高の笑顔を見せながら言ってくれる。
生意気なお子様はここぞとばかりに見下しながら薄く笑ってくれる。
羞恥と怒りと哀愁が混じって、別の意味で泣きそうになった。
視界の端で、哀れむように唯一何も言わない瀟洒なメイドが私の悲しみを更に深いものにする。
何故だろう、この状況下で一番会いたくない人物が勢揃いしていた。
丁度良いことに此処は神社だ、私は持つ力を全て使って神を呪うことにしよう。
五人分の嘲りの目を前に、言い訳は既に必要なくなるのだった。
「誰も、雨天中止とは言ってないし。この面子が雨ぐらいで宴会を止めると思ったの?」
呟く霊夢の一言に、妙に納得しながら。私は塵となって消えてしまいたい衝動に駆られる。
しかし、見えないほどに細かく散っても、恐らく紫が戻してしまうだろう。
旧友は変わらず友達甲斐の無い根性腐りなのだ。
こうして、天国のような宴は地獄の宴へと変わっていくのだった。
◇ ◆ ◇
屋内での宴は終わりを知らぬように続く。
私をからかっていた人妖は一部を除いて昏倒している。
それに安堵の吐息を漏らしながら、私は混沌とした会場を背にして酒を喰らう。
心にあった何かが溶けたような、純粋な酔いが身体中に回っていくようだった。
巫女の言うように、私はいままで本当の意味で酔ってはいなかった。
この心地良いものこそ、本当の酔いというものなのだろう。
こうやって心から酔えるのは、恥ずかしいことだが隣で酔い潰れた巫女のおかげである。
鬼を家族と言い張る不思議な人間。
そんな馬鹿を抱き寄せて、頬に優しく唇を押し当てて撫でてやる。
朱に染まった顔を歪ませて寝息を立てる様子に思わず苦笑が漏れた。
「ありがとう、霊夢」
言って、恥ずかしさに顔に熱が上がっていくのを感じた。
この恥ずかしくて、嬉しい感情が私が一人では無いことを実感させてくれる。
考えて、さらに熱が上がったようだ、こんなことを思うのは久しぶりに深く酔っているせいだろう。
見上げる空はいつの間にか晴れていた。
浮かぶ月は歪に欠けて地上を照らしている。
その月が、懐かしいものに思えて、杯に残った酒を一気に飲み干して掲げた。
仲間と杯を交わしたあの日のように高々と、後ろの仲間に、隣の家族に支えられながら月を砕くが如く。
そして、月の優しい光に目を回しながら消えていった同属達を想う。
人間が大好きで、酒と仲間を愛する最高の仲間達。
それの代わりというわけではない、そんな仲間が今後ろで宴を開いている。
ここの誰もが私のことを覚えていてくれる。
寂しいわけがなかった。
だからこの世に残る鬼として、私が彼らを記憶に残し続けるのだ。
いつか希望を得た彼らが世へ戻るまで。
彼らと別れる日、決めたこの契りはけして破らない。
――嘘吐きにはならない。
「おい、子鬼。なにやってるんだ、参加しろ、飲め」
「魔理沙、それお酒じゃないわ……緑色の何かなのよ」
決意の横から騒がしい声があがる。
それが同属との宴と重なり、視界が少しだけ滲んだ。
妖怪、人間、妖精、そして鬼。様々な顔が揃うこの宴ははまさに百鬼夜行。
望んだ世界は、まだ在った。
この私が居る限り、宴は終わらない
――百鬼夜行は続いていく。
了
■作者からのメッセージ
彼女が鬼達を覚え続けているのなら、鬼が現世に戻るのもそう遠くはないのかもしれない。
そこに楽しげな宴があったなら、尚更だろう。
というわけで、何を考えてコレを書いたのか。
眠い頭では何も解らないのであった。
自己完結かな……なってるかな……なってんだろうなぁ……〓■●
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