“待ち人”

作:眼帯兎






 紅魔の館の内部にある、日が射すことの無い図書館。  本の保管に適したこの場所で、私は疲れの溜まった目を擦りながら活字を目で追っていた。  子悪魔の司書には今日こそ睡眠を取れと言われていたのだが、約束はとうに破っている。  時刻は既に小鳥が起きだす頃であろう。  視界が涙で歪み、ページを捲る手を止める。  数分前から感じていた目の痛みが堪えがたいものになったのだ。  流石に目が潰れては本も読めなくなってしまうだろうと、私は惜しみつつも本を手放して目薬を探すことにした。  数時間ぶりに文字の無い世界に戻った私は、卓上に高く積まれた本の山に溜息を漏らす。  彼女の名誉のために断っておくが、別に司書がサボっている訳ではない。  彼女が片付ける前に私が新しく山を積み上げてしまうのだ。  自業自得の跡から目を背けたくなるがそうもいかない。現在進行形で目の痛みは増しているのだ。  小さな音が響いて、本の山との戦いはあっさりと幕を閉じた。  具体的に言えば限界まで詰まれた本を不注意で崩してしまっただけなのだが。  綺麗になった机とは対象的に、本に埋め尽くされた床は足の置き場すらない。  現在、布団の中で寝息をたてているであろう司書がこの惨状を目にしたらどのような声をあげるだろうか。  そんな司書にだけ嫌な未来を捨て置き、久しぶりに全貌を現した机の面に目を向けると探し続けた物を見つけた。 「貴方のせいで大変な犠牲を被ったわ」  主に司書がである。  薬の入った小瓶へ独り言を溢して、その中身を痛みを残す眼球へ躊躇無く落とした。  絞めつけられるような痛みが走り、涙と薬が混じる。  良薬とはいつでも口に苦いものだった。眼球だけども。  溜息をひとつ溢して本の山へと視線を移すと、散らばった本の上に己を誇示するように身を置く本があった。  それは、唯一読みかけのまま置かれていた本だった。  題名は擦れて読めないがハードカバーの表紙には子供向けの絵が描かれ、一目で児童書だと解るだろう。  普段なら半刻とかからず読んでしまうような子供向けの童話だった。  しかし、息抜きに手に取った筈のこの童話を私は未だに読み終えることが出来ていない。  特に呪いが掛かっている訳ではない、解読が必要な文字で綴られている訳でもない。  その程度の事なら読み終えるのにこんな時間が掛かるわけがないのだ。  読めない理由は簡単なものだった。  この物語に出てくる人物が、私と彼女に似ているだけ――ただ、それだけのことだった。 ◆ ◇ ◆  大きな湖の辺に、これまた大きな館が建っていました。  ここには昔からとある魔女が住んでいます。  魔女は何年も掃除もしないで本を読んでいたので、青い髪には埃が積もってしまっていました。  魔女は埃だらけになってもけして外へ出ようとはしません。  なぜなら魔女は本を読み続けたおかげでほとんど全ての事を知っていたので、外に出る必要が無かったのです。  ほとんど全ての事を知っている魔女は、ほとんどの中にない知識も本を読んで知っていこうと思っています。  今日も、広い図書館には本が捲られる音だけが聞こえていました。  ある日、図書館に一人の少女が訪れました。  お日様のような金色の髪を持った少女は沢山の本を目の前に驚きながら、とても嬉しそうに笑っています。  静かに本を読むのが好きな魔女は、そんな少女を疎ましく思い、何年かぶりに声を出しました。 「うるさいわね、本が読めないじゃない」  しかし、少女は魔女に怒られても笑うのをやめません。  それどころか少女は魔女の隣に座るとうるさい程に声をかけてきます。  あまりにうるさくするので、魔女は仕方なく少女に言葉を返しました。  すると、少女は魔女の言葉に驚いたり、笑ったり、いろいろな顔をみせます。  魔女はなぜかそれがとても嬉しく思えて、久しぶりに本を読まずに一日を少女と話して過ごしました。  そして、日が沈み、空が暗くなった頃。  少女は帰り際に本を借りたいと言い出しました。  その本はまだ読んでいなかったので断ったのですが、少女は聞きもしないで持っていってしまいました。  魔女はなんて勝手な奴なんだ、と怒りましたが、本を返しに少女が来るのが少しだけ楽しみでした。  それから少女は毎日のように図書館に顔を出し、いつしか魔女は少女が来るのを楽しみにするようになりました。  ある日、いつものように魔女が少女を待っていると、見慣れない女の子が少女と共に訪れました。  人形のように可愛い少女は静かに魔女に頭を下げて本に没頭します。  普段の魔女なら静かな女の子と友達になれたでしょうが、なんとなく好きになることができません。  女の子へ楽しそうに話しかける少女を見ていると、魔女はなんだか落ち着かず、結局その日、魔女は気になって本が少しも読めませんでした。  そう、魔女は少女に恋心を抱いていたのです。  そして、その想いがいつしか魔女に人形の女の子への嫉妬心を抱かせていきました。  魔女は人形の少女が居なくなってしまえばいいとさえ―― ◆ ◇ ◆  本を捲っていた指が止まり、対となる手が本を閉じた。  この先の物語は簡単に予想できた。いつの時代の童話でも、姫への嫉妬に狂った魔女は王子に倒される運命にある。  だからといって、今まで自分は読む事を止めたことは無かった。  どんなに単調な物語でも、間違った術式の魔導書でも、私はどんな本でも必ず最後まで読み通してきたのだ。  しかし、何故だろうか。  この魔女が独りになっていく結末を見たくはないと、子供のような思考が邪魔をする。  幾度となく読み返しても同じだ。  あまりにも私と彼女に似すぎている――唯一、私が恋をしているということ以外は。  そして、最後のページを捲れないことも、何度読み返しても同じだった。  ただの童話だというのに、どんな呪いが掛かった魔導書よりも読み進めることを躊躇わせる。  最後のページを開く前に本を閉じて、その度に焦燥感に似た苛立ちが心を支配した。  全てアイツのせいなのだと。  “また明日”そう言ったくせに、もう一週間も顔を出していない。勝手に持っていった本だって返してこない。  こんなにも待っているのに、太陽の様な少女は未だにこの扉を開いてくれない。  静寂に包まれた図書館を見渡すと。  埃とインクの匂いを含んだ空気に満たされた本の山の中に、私は一人だった。 ――寂しい。  そう、私は寂しいのかもしれない。  私は一人であることを望んでいたのに、紅い霧が拭われると同時に何かが変わってしまったのだろうか。  この図書館の扉が開く度に、私の中の何かが少しずつ変わったのだろうか。  彼女が、私を変えてしまったのだろうか。  いつからだったろうか。  あんなに嫌いだった太陽も今ではそんなに嫌いではなくなって、本のない外界へと出ることにも躊躇しなくなった。  彼女が来てからだった。こんなにも、一人で居ることが寂しいと思うようになったのは。  全て彼女のせいであり、全て彼女のおかげだったのだ。 「魔理沙――」  本を胸に抱き、涙が溜まる目を閉じて呟いた。  百年もの間、こんな惨めなことをしたことがあっただろうか。 「――馬鹿」 ――いきなり馬鹿とは酷いな、私は馬でもなければ鹿でもない。  静かな館内に響いた独り言に、忘れたことなど無い声が返ってきた。  金色の髪を揺らしながら太陽のような笑顔を浮かべる少女。  いつもと同じ、黒いローブにエプロンを引っ掛けた姿は間違えようのない、彼女の姿だ。 「知っているわ、鼠でしょう? 黒くて汚い盗み癖のある」 「いやいや、普通の娘さんだぜ」  本で涙を隠しながら、喜びと僅かな怒気を含めていつもの皮肉めいた言葉を返す。 「で、今日は何の用なの、こんな朝早くに」 「あー? 遊びに来たに決まってるだろ」 「本を読みに来た、という方が正しいんじゃない?」  自然に口元には笑みが浮かぶのが解る。  息苦しく思えたあの空気は、もう無かった。  不意に、彼女の細い指が真っ直ぐに私の顔を隠す本を掴む。  ひったくられた本を見上げて、私は慌てて泣き顔を隠した。 「なんだ、童話か」  慌てる私を見ることもなく本を捲る姿に安堵して、涙を拭う。赤くなった目は、擦りすぎたとでも言おうか。  そんな事を考えて、ふと違和感を感じた。 「この魔女、お前に似てるな」  言われて、本の内容に今更ながら気づいた。  今まで感じたこともないほどの羞恥の念に駆られて、自分でも驚く速度で本を奪い返す。  それに不満そうな顔を浮かべて彼女は言葉を続けた。 「なぁ、その本貸して――「駄目よ」  即答してやる。彼女は不満そうに、しかしさらに興味を膨らませたように食い下がってきた。 「いいじゃないか、こんなに本があるんだ。どうせ錆びれた神社三年程の賽銭くらいの価値しかないんだろ」 「あの紅白にとってはね、貴方にとってはまた別なのよ。人によって価値は違うの。あの巫女は此処の本に興味を持たない、賽銭にもあまり興味は無いのよ、能天気で物には価値を持たないのね」 「食い物には興味を持っているけどな。まぁいい、それは今度もって行くとして」  聞き捨てならない言葉を吐きながら彼女は立ち上がった。  その様子を見ながら、私はネコイラズの強化を思案しつつも、後に続く言葉を待つ。 「行くぞ」 「何処に」 「外だぜ」 「……何で」 「実験を手伝え」 「……貴方は言葉が足りないわ」 「要約すると、偶には外に出ないとカビが生えるってことだ」 「要約されていない、つまり手伝って欲しいんでしょ」 「それもあるが遊びに来たと言った筈だぜ」  再び手が伸びてくる。今度は本ではなく、私の指へと。 「――あ」  いつだって彼女の手が私を掴んで外へ連れ出した。  本の近くにいるものこそが自分だと思っていた、そんな私に違う道を見せてくれた。  きっとそれは私の為じゃないのだろうけど、そのおかげで世界が広がったように思えた。  その道が正しかったのかは解らないが、なんとなく楽しいように思えたのだ。  だから自然と自分からも手を伸ばし、手が握られる。  そんな簡単な行為に心音が強く鳴り響いて、それが自分の物だと気づくまでの間をやけに遅く感じた。  繋がれた手から彼女の温かさが流れ込んでくるようで心地いい。  惚けている私に構う素振も見せず、彼女は行き先すら告げぬまま歩きだした。  それに躓きそうになりながらも後を追う。幸い手は強く繋がれて、置いていかれることはない。  そして、彼女の手に引かれるままに図書館を出るとき、一度だけ振り返った。  何年もの間、私を宿してくれていた場所。  そんな本に囲まれた密室を私は彼女と共に抜け出す。  次に戻るとき、此処は密室ではないだろう。  扉は開かれたのだから、帰る場所はもう此処ではない。  私の場所は、光を遮る密室めいた場所ではないのだ。 ――恋をしたから。新しい場所は彼女の後ろ、目指す場所は彼女の隣。  孤独な密室の扉が開かれてこの手が掴まれたとき。  やっと自分の気持ちに気がついた。  きっとこの感情は出会って間もなく抱いた筈の感情なのに、知識だけはあるくせに随分とかかったものだ。  これで全てが童話と同じになってしまった。  しかし、今はもう童話などに心を捕らわれることはない。  所詮は童話、その程度の呪ならば簡単に砕いてやれる。  新しい場所に恋敵は多い。  妹様は恋を理解しないお子様で、問題はやはり紅白。それに、七色人形遣いだろう。  あいつのことだからまだ候補はいるかもしれない。  それでも、負ける気は微塵すらなかった。  引かれる手を強く握り、懐かしい、閉じられた図書館から視線をはずして、私は彼女を追う。 ――行ってきます。永久に帰ることのない密室へと告げて、私は彼女と共に外へと抜け出した。  帰ったら、あの本の続きでも読んでやろうか。 “新しい、この場所で” ――その後、崩れた本の山を前に小悪魔の絶叫が紅魔館中に響くのはまた別の物語である。 了


■作者からのメッセージ 何だかとても時間が掛かったもの、そのわりに出来は…お察しください 因みに今回のコンセプトは魔理沙への恋心に気づかせること 表現出来てるかなぁ……また自己完結になってる悪寒 東方創想話に出展した作品です。 出来は……〓■●



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