“おわらないうた。”

作:眼帯兎






 友人として、そんな関係を始めて週が一つ過ぎた頃。
 宵も更けて細くなった月が夜空を照らす中、葉の色を薄くした木々はどこか哀愁を感じさせた。
 季節は秋、紅と黄色に脱色された森は暗く、その中に変わらぬ赤提灯を見つけることができる。
 来るべき別れと寒さの季節に震える森で、その屋台だけは陽気に、笑い声が絶えないようだった。
 そんな、夜雀の歌声が誘う屋台に青年は居た。

「別に、手伝ってもらうつもりじゃなかったのに」
「タダ飯を喰いに来たわけじゃないんだ、このくらいさせてくれ」

 毎夜ミスティアの屋台に通っては、当然懐も心許なくなる。
 昨夜、暫く顔を出せなかった理由を聞かれて、青年は情けなく思いながらもそう答えた。
 そして、ミスティアは提案したのだ。

「ご馳走してるのは普通の食事なんだから……」

 それなら、ご飯だけでも食べに来て。
 無論、そんなことを惚れた女に寂しそうな顔で言われては、断ることなど出来なかった。
 しかし、どうにも頼り切ることを好しとは思えずに、青年はこうして申し訳程度に屋台の手伝いに勤しんでいるのである。

「私は、一緒にいれたらそれでよかったのに」

 ぽつりと、隣から聞こえた声に顔が熱くなるのを感じて、青年は慌ててそっぽを向いた。
 そんなことを言うのは反則だと、青年は思う。
 しかし、その青年もまた同じようなことを考えていたのだから、余計に性質が悪く、恥ずかしさも増すというものだ。

「……ま、それは半分建前でもあるんだけど」
「――ん、何か言った?」

 そう、一緒に居る理由が出来るからなどと、たとえ口が裂けても言うことはできなかっただろう。
 そんなことを考えている自分自身が恥ずかしくて、積まれた食器の山を八つ当たり気味に磨き上げていく。
 何も知らないミスティアの視線から逃げるように、青年は黙々と作業に没頭していった。
 グラスの汚れは簡単に落ちていくのだが、この頬に浮かぶ朱は磨いても落ちそうになかった。

「――お、おう?」

 不意に、ミスティア以外の視線を感じて、青年は顔を上げながら顔を引き攣らせる。
 訝しげに上げた視界には、視線を隠そうともしない客達の顔が並んでいた。
 それも、一つや二つではない。
 客足が多いときに出す、組み立て式の安っぽいテーブルに座る客さえも、総じて青年に目を向けている。
 その異常な光景にもどうにか声だけは上げず、訝しみながら客達を一瞥して、青年は動きを止めた。

「――なっ!」
「てめぇ、こんなところで何やってやがんだ!」

 今度こそ、青年は肩を跳ねさせて、声を上げてしまった。
 隣に立つミスティアが驚いたように青年へと振り返ったが、それどころではない。
 夜の闇に包まれて、唯一の照明である提灯に赤く照らされている人影。
 鈍色の衣服を纏う筋肉質な初老の男が、青年の眼前に立っていた。
 一仕事終えた後なのか、その肩には汗を吸った手拭いがかけられている。
 日に焼けた顔には皺も多く、不機嫌そうな顔のせいで更に年老いて見えた。

「……親父」

 産まれた時から共に暮らす親の片割れなのだ、もはや見紛うこともないだろう。
 そして、その父親こそが、この状況を一番見られたくなかった人物だったのだ。

  「最近帰りが遅ぇと思ったら」

 言われて、ぐっと息を呑む。
 同時に、あれやこれやと言い訳が思い浮かび、端から消えていく。
 当然、真の理由を言える訳がなかった。
 どこの家にも、こんな場所で親に女への愛を語る者はいないだろう。
 ならば、やることは決まっていた。

「というか、そっちこそなんでこんな所に居るんだよ」
「そりゃあてめぇ、飲み仲間に問い詰められたのよ。息子が馴染みの店の店長とくっついてやがる、どうなってんだってよぉ」

 そこまで聞いて、青年は心の内で安堵する。
 話を逸らすには丁度良いことを、父親は溢していた。

「……親父、飲み仲間って何だ?」
「何?」
「たしかさ、母ちゃんに酒は止められてたよな?」

 とたんに、今度は父親の方が言葉を詰まらせた。
 青年の口元に、無意識の内に小さな笑みが浮かぶ。
 そこに、割り込む影があることに気付きもせずに。

「あっ、オヤジさんじゃない」
「う、お、ミスティアちゃんじゃないの!」

 するりと、青年の脇を潜り抜けるように、ミスティアは笑顔で父親の前に立っていた。
 渡りに船とでも言うように、父親は話を逸らしている。
 それは予定通りなのだが、どうにも青年は不安を抑えることが出来ずにいた。
 そして、それはきっと思い違いではなかったのだ。


「あのさ、息子さん貰っていーい?」


 それは、やけに静かな屋台に、妙に透き通った声で響き渡った。
 同時に、場の空気も冷え固まり、誰もが言葉を忘れたかのように呆然としている。
 ただ、先ほどから感じていた視線だけが、唯一その存在感を強めていた。
 どこか殺意さえ感じさせるそれに、青年は初めて、視線による幻聴を体験した。

 ニュアンス的には、「何故あんな若造が」とか「百年早いんだよ、引っ込みやがれ」等。
 認められない、認められるか、認められません、殺したい。三段活用プラス一である。

 そのとき、青年は確かに一足早い冬の訪れを感じていた。
 気分は極寒。針のむしろに立たされているようなこの状況で、青年が何よりも冷めたのは――。

「てめぇ、ミスティアちゃんとそんなになってやがったのか!」

 肉親の視線が一番分かり安く、妬みが感じられたことであった。
 そんな父親を前に、青年は笑いたくもないのに、乾いた笑い声を漏らし続ける。
 それは恐らく、涙の代替物だったのだろう。

「あ、ご飯出来てるからね」

 そして、息の根を止めるかのように、空気を読まない想い人の一言が囁かれる。
 今や、青年に萃まる視線は冷水に濡れた刃物のように鋭く、冷たかった。
 もはや青年に道はなく、ただひたすらに視線へと背を向けることしかできない。
 冷たい視線と温かな笑顔に見送られ、天国と地獄を背負った青年は屋台の裏手へと引っ込んでいった。





 ■





 地獄を抜け出すと、そこには犬がいた。
 何処にでもいるような、白い体毛を持つ大型犬である。
 しかし青年は、どうしても普通の犬とは思うことができなかった。
 口元に浮かぶいやらしい笑みは、どこか嫌なことを思い出させたし、

「よぉ、色男」

 何より、その犬は人語を話した。
 重圧でありながらも、どこか朗らかに聞こえる口調はどうにも一人の妖怪と同一の存在であるらしい。

「……山犬か」
「そんなつまらない顔をするな、笑え」

 初見のときより身体は小さいものの、その本質は変わらず、大きい。
 しかし、その威圧されるような存在感を、青年はあえて無視するように通り抜ける。
 屋台の裏手には赤提灯の光が微かに漏れているだけで、基本的には夜の闇に支配されている。
 そんな中、用意されていた机に腰掛けると、山犬は丁度青年の対面の席によじ登っていた。
 どうやら、逃がすつもりはないらしい。

「苦労しているな、色男」
「……あんなに人気があるとは思わなかった」

 用意された食事に箸を伸ばしつつ、屋台に立つ後姿を横目に見つめる。
 山犬は何が可笑しかったのか、露骨な忍び笑いを溢していた。
 当然、いい気分はしない。
 眉根を寄せて視線を鋭くするが、山犬は変わらず笑顔だけを深いものにしてみせた。

「そう怒るな、理由を教えてやる」

 くつくつと嘲る山犬の言葉に、青年は自然と口を噤む。
 正直に言えば気になってもいたし、彼自身も病気だと思ってはいるのだが、ミスティアの話であればなんでれ、聞きたく思ってしまうのである。

「最初に、ミスティアは人間にもてる。恐らくは、人間に好意的なのも理由なんだろうけどね。本気の奴も結構居るわけだ」

 言葉に耳を通しながら、山犬の視線の先に並ぶ人々を盗み見る。
 冷めた視線の理由を知って、急にその顔ぶれが敵のように見えてきた。

「そう怖い顔をするな。心配しなくても、ミスティアはその全てを断ってきている」
「……おう」

 一応は素っ気無い返事をしつつ、青年は自分の頬に熱が篭るのを感じていた。
 対面に座る山犬にもそれははっきりと感じ取れたらしく、いやらしい笑みを湛えながら、机の上に身を乗り出してくる。
 それに連動して、青年ものぞけるようにして距離を取るのだが、それにも限界があった。
 瞬く間に山犬の両眼が鼻先にまで迫り、有無を言わせない威圧感を青年にぶつけてくる。
 それは、まるで言い逃れを許さないという意思表示にもみえた。

「さてさて、その言葉がミソでね。曰く“待っている人が居るから”だそうだ」
「……あぁ」
「それが――ぶふぅっ!」

 ひときわ大きな声で、山犬は堪え切れぬというように、盛大に噴出した。
 無論、至近距離からそれを浴びせられた青年は酷いもので、山犬の大きな鼻から射出された鼻水が付着している。
 青年は不快感を隠そうともせず表に出したのだが、悲しいことに、山犬は気にした様子も無く、告げる。

「最近の話だ。長年続いてきたその定義文がね“大切な人がもう居る”に変わっちまったのさ。そりゃあ、あいつらが恨むのも無理ないだろうよ、中にはあんたが生まれるより前から求婚している奴だっているんだ」
「知らん、こっちだって本気なんだ。気になんてしてられるか」

 一瞬の静寂の内に、山犬は笑い方を忘れてしまったかのように、瞳を丸くしていた。
 やがて、山犬は再び青年の鼻先で噴出して、呼吸を整えるために一呼吸の間を置く。
 その間、青年の頬は別の生き物のように、激しく痙攣していた。

「あぁ……ああっ! やっぱりあんたは最高だ、色男」
「……馬鹿にするな」
「まさか、本気で言っているんだよ」

 精一杯の気持ちを溢してしまってから、変わらず不機嫌な顔のまま、嬉しくないと答える。
 それでも、山犬は満足そうに笑い続けていた。

「さて、宴も酣だ。私は帰る」

 唐突に、笑みを消して山犬は背を向けた。
 暗い森へと向かう白い影を、引きとめるつもりは無い。

「あんな眩んだ鳥目じゃあ、もう暗い森で暮らせそうもない。せいぜい提灯でもぶら下げているのがお似合いだろう」

 歩みは止めずに、山犬は語る。
 それに、青年は答えようとは思わない。

「友を頼むよ、色男」
「――おう」

 最後に、そんなふざけた名で呼ばれて、そんなことを頼まれる。
 山犬の姿は闇に紛れて、もはや聞こえているのかも定かではない。
 それでも、その最後の問いにだけは力強く答えってやった。
 先の見えぬ夜の森、妖怪だけが立ち入ることを許されたその場所に、本当に微かな犬の遠吠えが聞こえた気がした。





 ■





「話がある」

 月も姿を消した頃、客足も途絶えた屋台に一人、父親の姿があった。

「ミスティア……さんも、いいかね」

 そこに、普段の気の抜けた様子は感じられず、ミスティアもそれを感じ取ったのか、何も言わず、青年の傍らに腰掛けた。
 静寂に包まれた屋台には、先の明るさが嘘のように消えて、揺れる赤提灯の光も心なしか寂しげに見える。
 そんな中、父親は二人の対面に腰を下ろして、静かに口を開いた。

「……お前は、ミスティアさんと好き合っているのか?」
「そうだ」

 その問いは、とても簡単で単純なものだった。
 故に、迷い無く、淀み無く、正直な言葉で返す。

「俺は、こいつを愛している」

 父親は一拍ほど間をおいて、ほんの少しだけ寂しげに頷いた。

「それがどういうことなのかも、分かっているんだな?」
「あぁ」
「俺もミスティアさんとは長い。良い人だってことは良く知ってるつもりだ。それでもな、里で共に暮らすことはできない。妖怪は人を喰らい、人は妖怪を恐れ退治するもの、決して相容れてはならない。それは、人と妖怪の関係が近くなった今も変わらない掟だ。禁を犯せば里にはいられなくなるし、親である俺達の肩身も狭くなるだろうよ。それでも――」
「すまない、耐えてくれ」

 間を置かずに、青年は答える。
 ミスティアは驚いたように瞳を丸くしていたが、恐らく、少しでも迷いを見せていたら、父親は青年を殴り飛ばしていただろう。

「……それでこそだ、勝手にしやがれ!」

 それは決して思い違いではなかったらしく、父親は心から嬉しそうに、笑っていた。
 次いで、父親は本当に似合わないことに、ミスティアへと頭を下げてみせる。

「息子を、頼みます」

 いつも目上に居た父の姿に、青年は何となく視線を逸らした。
 ただ、驚き戸惑っているミスティアに向けて、せめて恥をかかせないように、頷いてみせることしかできない。

「はい、私の方こそ……」

 両の手を添えて、ミスティアも同じように頭を下げた。
 取り残されるように一人頭の高い青年は、居心地が悪そうに背を向けて――。

「それじゃあ早速、おとうちゃんと呼んじゃくれねぇか?」

 半笑いの父親に、生まれて初めて拳を振り上げたのだった。







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