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“白沢。”

作:Fimeria






 月の満ちる夜が来る。
 夜空にぽっかりと浮かんだ金色の穴が広がりきると、妖怪でもないのに私の心は昂る。
 恐らく、この身は妖怪よりもずっと化物だ。
 皮肉的な自嘲の笑みで口を歪め、まるで恋人を待つかのように、憎き姫を待つ。

――トクン

 何者かの気配に、私の心の臓が高鳴っていく。

「これは……アイツじゃない?」

 予想とは裏腹に、感じたのは妙に綺麗な妖力だった。
 殺意に期待を寄せていた私は、肩透かしを食らったように昂りを収める。
 憎き姫はもっと汚らわしい、それでいて美しい化物じみたものであるはずだ。

「上白沢……それにしては強すぎる」

 感じたことの無いそれに、無意識のうちに言葉が漏れていく。
 興が向いた。恐らくはそれだけの理由で、私の足は竹林へと向う。
 何年も暮らし続ければ、自然と迷うことは無くなって。
 私は最短の道筋を辿りながら、それの前に立つことができた。
 満月を微かに透す葉の元に、一つの人影がある。
 何処となく見覚えのあるその姿に、私は覚え始めたその名を呼んだ。

「……慧音?」
「――っ!」

 影さえ見えるほど近く、私の声に人影は驚いたように跳ねた。
 その姿に、私は確信を得る。
 純粋な妖気を出す存在は、久しくを共にした者だったのだ。

「も、妹紅か。満月の夜は危険だ、すぐに家に帰れ!」
「何を言うかと思えば、妖怪が来なくなったといったのはお前だろう」

 私は必死なその声を笑いながら、竹林を掻き分けて影の前に降り立った。
 強大な妖力があることに、嫌なほど気づきながらも。
 足は止まらなかったのだ。

「……見ないで」

 そこにはやはり慧音が居た。
 ただし、羨ましく思っていた長髪は碧の色を含み、頭部にはやけに立派な角が生えていた。
 そこにはやはり妖怪が居た。

「妖怪か」

 くだらないと、私は冷笑と共にその姿を見つめる。
 視線の先で、慧音は私の呟きに肩を浮かせて、必死に自身を抱いていた。
 強大な妖力とは裏腹に、怯える子供のような姿。

「何故、私に近づいた。お前は見たところ人を襲う気配もない」
「私は……里を守りたかっただけだ。巫女が守らぬ里は誰かが守らなくては節理が崩れてしまう」
「妖怪が、か?」
「ワーハクタクそれが私の種族名。半獣だが人間達とは程遠いもの、それでも――」

 人間が好きだと、慧音は涙と共に溢した。
 半分が人間であるからか、それとも何か別の理由があるのだろうか。
 それは、慧音ではない私には分からない。
 忌々しいものを見るような瞳で身体を見下ろす慧音。
 目の前に浮べられたその表情は、何故か酷く懐かしいものだった。
 古すぎる、屋敷での記憶。
 掠れた情景には姿見を覗く私の姿が思い起こされていた。
 忌子として、他者との違いを思い知ったとき、私はいつもこんな表情を浮べていた。

――どうだ、少しは気に入ったか?

 だからこんな表情をする馬鹿者の為に。
 今度は、私の方が気づかせてやらなければいけないような気がしたのだ。

「ねぇ慧音、そんなに人間と違うのが恐ろしい?」
「何を……」
「満月の夜に角が生えるくらいで、そんなに怯えるものなの?」

 震える碧の瞳は私へと真っ直ぐに向いていた。
 怯えを含んでいたその瞳に、微かな激情が生まれていくのが分かる。
 同時に、慧音の手は私の肩を人とは思えぬ力で掴んだ。
 息は荒く、鼓動も聞こえるほどに高く鳴り響いている。


「人間の癖に、化物であることを隠し続ける私の何が解る!」

――そんなこと。

「この気持ち悪い角を見ろ! 汚らわしい魔力の髪を見ろ!」

――そんなことなんて。

「人間の癖に、何が解るというんだ!」


「――お前以上に知っているよ、上白沢慧音」


 口から漏れた声色は、情けないほどに悔いを残すものだった。
 認めたくない過去の記憶を想いながら、慧音の瞳を血色がそのまま映された紅い瞳で見つめ返す。
 たかが未熟な半獣如き、言い負かされる覚えはなかった。

「習ったことは覚えている性質でね。全てを知る白沢なら、私のことは知っているんだろう?」
「いや、私は半獣……そこまでの力は無い。知りたいと思った事象を得ることくらいで、全てを常時備えているわけではないんだ」

 全ての歴史を知り得るという妖怪。
 神獣とさえ呼ばれた白沢ならば、私のことなど完全に知っていただろう。
 しかし、返答は否定的なものだった。
 確かに、人型の脳みそなんかに全ての知識を詰め込んでいたら弾けてしまうのかもしれない。
 それなら、半獣ではない白沢はさぞかし大きな頭を揺らしているのであろう。

「なら見てみなよ、私の歴史。お前が人間と呼ぶ者がどれだけの化物なのか」

 言葉と同時、私の手は慧音のそれを掴み上げ、自分へと向ける。
 それに怯えたように肩を跳ねさせながら、慧音はゆっくりと目を閉じた。
 恐らくは、視ているのだろう。


  生まれは白く、紅をこれ以上ないほどに望む忌子として。

  育ちは暗く、他者から遠い部屋の中。

  全ては狂い、不死の境地へ。

  永き時に身を任せ、全ての者に受け入れられることもなく。


 慧音の腕がパサリと音を立てて地に落ちる。
 時間にして四を数える程度、慧音は私の全てを知ったのだろう。

「半分は人間なんだろ? 共に居ても何も不思議じゃない。私なんかよりはよっぽどマシさ」
「お前は……」
「人間を好きで守ってるなんて、満月の夜以外は人間より人間らしいじゃないか」

 目の前に居る人物が、蓬莱人である私を知っても変わらないと信じていたからだろうか。
 すんなりと浮かんできた言葉と共に、私は自然と笑みを溢していた。
 しかし、予想は裏切られる。
 変わらないと思っていた慧音の瞳には僅かな、本当に僅かな涙が浮かんでいた。

「お前は、そんなに辛い生を独り……」

 不意に、下げられた手が私の頭部を包む。
 柔らかな慧音の香りが私を包んでいく。
 私の姿を知りながら、初めて向けられた優しさに包まれている。
 その感情がうつったのか、私の瞳もまた温かな雫を溢してしまった。
 言葉はない抱擁とともに、忌々しいはずの満月の光さえ優しく感じながら。
 友人の腕の中、今はただこのままで居たいと思った。

「……ありがとう」

 その言葉はどちらが溢したものなのか。
 遠い意識の中、どちらのものかは解らなかった。
 結局、その夜は輝夜が現れることはなく。
 竹林には何故か、兎の妖怪が増え始めた。






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