“偽る心に終止符を。”作:眼帯兎日は昇るのを止めて、緩やかな速度で地平線へ降下する為の準備を始めている。 時は昼を少し過ぎた頃、色褪せた雰囲気を持つ日光が降り注ぐには、魔法の森は少し深過ぎた。 深い木々の影が落ちる薄暗い魔法の森の中、霧雨魔理沙は一人、地を歩んでいく。 普段は空を行く魔法使いである彼女が、腰掛けるはずの箒を手にしているのには訳がある。 ――故障。 その単純な理由によって地を歩むことになった彼女は、何故か笑顔を浮かべていた。 理由は、先のものより更に単純なものとなるだろう。 魔理沙は魔法使いであり、自分の箒くらいの修理が出来ない訳がなかった。 しかし、彼女の足が向く場所は道具屋である。 その道具屋の主人が男性であり、尚且つ幼少からの付き合いともなれば、理由は簡単に推測できただろう。 魔理沙は箒の修理とは別に、極めて乙女的な理由を持って森を歩んでいた。 喧しい印象を与える彼女は、一人のときは別人のように寡黙である。 そんな彼女が笑顔で歩いている光景は、森の人形使いが目にすれば一言、気持ち悪いと溢しただろう。 「……気持ち悪いなぁ」 残念ながら口にしたのは名も無き妖精ではあったが、その評価が覆るわけでもない。 行き過ぎた乙女心は、他者には理解され難いのである。 目的地の香霖堂は間もなく見えてきた。 魔理沙の家と同じ森の中に建っているのだから、大した時間は掛かりようもない。 魔理沙は店の前で立ち止まると、店外にて雑多に積まれた道具の中に姿見を見つけた。 映り込む己の姿を目に、金色の髪に指を通し、深呼吸は三度、普段と変わらぬ声を出す為に調子を整える。 そして、ゆっくりと戸に手をかけると、彼女は無遠慮を装った声と同時に、店内へと足を踏み入れた。 「おーい……」 尻すぼみに小さくなっていく声が、埃臭い室内に響く。 いつもならこの後に店主である青年の名が続く筈なのだが、魔理沙は言い切る前に口を閉ざした。 傷んだ白髪に眼鏡を掛けた青年は、魔理沙を気にも留めず、本に目を落としている。 普段と変わらぬ彼を前に、魔理沙が普段を行わなかったのは、その光景に異物が混じっているからだった。 「……香霖。何だよ、それ」 指差して、睨むような視線を送る魔理沙に、霖之助はようやく本から顔を上げた。 そして、二拍ほどきょとんとした表情を見せた後、霖之助は自分の足元へと目を向けていく。 彼の膝の上には人形のような少女、妖精が安らかに寝こけていた。 「あぁ、妖精だね」 何でもないことのように、霖之助は返答した。 しかし、彼には何でもなくても、魔理沙には大いに何でもある。 古くから付き合い、幼少の姿を知られる魔理沙でさえ、その膝を許されたことはなかった。 もっとも、それは魔理沙が求めなかっただけの話ではあるのだが。 一言で表すのなら、それは小さな嫉妬であった。 「そんな害虫、追い出せよ!」 「何故か悪さをしないからね、便利だよ」 「……うるさい!」 魔理沙は強引に妖精を掴み取ると、窓から虫を放るようにして追い出した。 外からはキーキーと喧しい声が上がるが、魔理沙は鍵を掛けながら気にも留めようとしない。 霖之助は気にした様子もなく、再び本を開き始めていた。 「……くそ、相手は妖精だぜ」 「何か言ったかい?」 「何にも……言ってない!」 魔理沙は自分に言い聞かせるように呟いて、大きく息を吸った。 そして、埃の匂いに咽て涙目になりながらも、先ずは箒のことを頼むことにする。 「あの――」 「失礼、頼んでいたものを取りに来ましたわ」 魔理沙の言葉に被さるように扉は開かれ、聞き覚えのある声が店内に響いた。 その姿は紅魔館のメイド、咲夜のものだ。 代金を支払っていく客ということもあってか、霖之助も笑顔で対応している。 言葉を遮られた魔理沙は口を動かすばかりで、不満に思いながらも二の句を紡げずにいた。 仕方がなく、店内に置かれた歪な形の椅子に腰掛ける。 目の前では、霖之助と咲夜が世間話でもしているのか、笑い合っていた。 笑みを浮かべる咲夜の姿を、魔理沙は無意識のうちに自分のものと比べてみる。 背は負けているがそれほど差はない、それよりも引っかかるのは、やはり胸部だろうか。 見下ろした身体には、お世辞にも大きな凹凸は確認できない。 目の前には自分よりも女性らしい咲夜が笑っている。霖之助もそんな彼女に笑いかけている。 それは、目にするには少し苦しい光景だった。 「……何やってるんだ。あいつはただの客だぜ」 呟く声は小さく、魔理沙は小さな嫉妬を否定するように飲み込んだ。 それでは、と咲夜は会釈をして、魔理沙には視線を一つ残して立ち去っていく。 その後姿は、羨ましく映らないこともなかった。 「最近、女と付き合いが良いな」 「どうしてそう思うんだい?」 「……別に、普段人と関わってないから、思っただけだぜ」 そっぽを向きながら、魔理沙は自分でも何がしたいのか分からなくなっていた。 嫉妬心が募っていくのが感じられる。 回り続ける思考の中、答えのない己への問いは回転速度を増して熱を生む。 白濁とする意識の横で、魔理沙は霖之助のすぐ隣に違和感を感じた。 違和感は切れ目となって広がり、ずれた空間は隙間と呼ばれるようになる。 「はぁい、おはよう」 隙間のある場所に現れるのは当然、八雲紫だった。 明らかに拒絶を示す態度の魔理沙とは別に、霖之助は眉の一つも動かそうとしない。 「もう昼も過ぎた、普通はこんにちはと言うものだぜ」 「そうとも言うわね、最近は」 「昔もだぜ」 「あなたの知っている昔も、私には最近なの」 呆れ顔の魔理沙に、すまし顔の紫の相手は難しかったのかもしれない。 寧ろ、この長生き妖怪の相手は、どんな者であろうと難しいといえるのだが。 当然のように魔理沙は口を閉ざし、からかうことを終えた紫は一息吐いて口を歪める。 「何か用かい?」 霖之助の問いに、紫が意味ありげに浮かべた笑顔は、最高に胡散臭い微笑みだった。 それがどうにも、気に食わないと魔理沙は思う。 あの笑顔は、明らかに魔理沙への皮肉が混ざっているように見えるのだ。 「そんな、用なんて野暮なことを聞くもんではないわ」 「な、何してるんだよ!」 絡み付くように、紫の手が霖之助を捉えている。 その光景を目に、魔理沙は思わず顔を赤らめ、叫んでいた。 紫はただ微笑むばかりで、魔理沙の声を気にも留めようとはしない。 そして、緩慢な動きで霖之助に顔を寄せると、頬に一つ口づけをして見せた。 それだけのことで、魔理沙の嫉妬は飲み込むことも出来ない程の熱を持って、膨れ上がった。 「くっ! 香霖の馬鹿野郎!」 「――僕かい?」 予備動作無しの光と熱が、線となって霖之助と紫の間を過ぎ去って行く。 魔理沙は手を止めるつもりもなく、第二、第三の光弾を紫に放っていく。 「あらあら、恐いわねぇ」 「この……止まれ! 止まれば撃ち抜く!」 「またね、今度はこの子の居ないときに……」 「逃げるな!」 魔理沙の叫びが終わる前に、紫は空間の断面に身を滑り込ませていた。 的を失った光線が壁に穴を空け、それでも衰えることなく森の中へと消えていく。 叫びながらの魔法行使に、魔理沙は肩で息をしながら震えていた。 「……ばか」 震えた声は小さく、室内に消えていく。 霖之助の返答も待たないまま、魔理沙は強く戸を開くと、日も暮れかけた森へと走り去った。 壊れた箒も忘れたまま、煮え切らない嫉妬を抱えて。 ◆ 日は暮れて、別れを惜しむように赤く地を染める頃、長くなった影が扉を開く。 その姿を、霖之助は目を向けることなく、思い浮かべることで認識する。 最近、訪れる頻繁が上がったその影は、間違いなく―― 「香霖、居るよな。どうせ根を張ったように動かないんだ、居るに決まってる」 「……魔理沙かい?」 遠慮なく失礼な言葉を聞いて、霖之助は読んでいた書物を閉じ、棚の中へと隠す。 馴染みの人物でなくても傍若無人を貫く魔理沙。 そんな彼女が興味を持てば、この本は二度と読めなくなるに違いない。 「今日は何をしに来たんだい? 最近頻繁に来るじゃないか」 「……なんだっていいだろ」 勝手に上がりこんできた魔理沙を横目に、霖之助は密かに溜息を吐きながら口を開く。 そんな様子に気付いたのか、魔理沙は少し不機嫌そうにしていた。 この光景も、本日で六度目となる。 霖之助は毎日のように訪れる彼女の真意を図りかねていた。 「……台所で何をやっているんだい?」 「台所は食事を作るところだぜ」 「魔法使いは、薬も作るだろう。勝手に商品を使ってないだろうね」 「……ただのシチューだったが、今から毒薬にしてもいいんだぜ?」 明らかな怒気と拗ねたような声が混じった、子供のような返答が戸の奥から返ってくる。 霖之助は眉を顰めながら、六度続いているその行為への追求を止めた。 毎度尋ねるが、彼女は同じように答え、普通の食事を差し出すだけなのだ。 拾い物の自動発火装置の上に鍋が置かれる音を聞きながら、ゆっくりと書の続きに目を落とす。 包丁の規則正しいリズムを聞きながら、霖之助は慣れない違和感のようなものを覚えていた。 「……何で、こんな事を始めたんだ?」 霖之助の言葉は台所へ届くほど大きくはなく、どちらかといえば自分へと宛てたものだった。 霖之助の座る椅子から見える魔理沙の後姿は、昔とは見違えるような動きで食事を作っていく。 不器用だった彼女は料理などしようともしなかったというのに、時の過ぎるのは早いということだろう。 魔法使いとして家を出た彼女は、努力を重ねていくうちに覚えたのだろう。 それは、霖之助がとある道具屋で修行をしていた頃には、予想も出来なかった光景だった。 霖之助は眩しげに目を細めて、その光景を見つめ続けている。 柔らかな時間が過ぎていく。 「何を読んでるんだ?」 「……魔法には関係ないよ」 「それは、後で私が判断するさ。それより食事にしようぜ」 「もうできたのかい?」 「……そりゃあ、半刻もあればシチューは出来るぜ?」 言われて初めて、霖之助は空に星が輝いていることに気付いた。 疲れているのだろうかと思案しながら、霖之助は席へ着く。 魔理沙は得意気な顔で、鍋敷きの上にシチューの入った鍋を置いた。 クリームの匂いが空腹を訴える身に染み込んでいくと、霖之助の腹は盛大な鳴き声を上げる。 「ほら、食え!」 その様子をケラケラと笑い、魔理沙は乱暴に盛り付けたシチューとパンを寄越す。 一口、スプーンで救い上げたシチューは目に見えて温かく、寒い夜にはぴったりだと思えた。 「……美味いか?」 「まぁまぁだね、少しは花嫁修業もできてきたのかな」 「な! なんだよ……何言ってるんだ」 本当は、自分で作るよりも数段美味ではあったが、素直な評価はそれだった。 当然、負けん気の強い魔理沙は恨めしそうな目を向けるが、とたんに顔色を変えて俯いてしまう。 馴染んだ彼女の扱い方を、霖之助は誰よりも知り得ているように思っていた。 「でも、寒い夜にシチューを頂けるのは、正直ありがたいね」 「そうだろ、文句言わずに食え! 美味いじゃないか、充分」 「あぁ、まぁまぁ美味しいよ」 そうだろう、小さな胸を張りながら魔理沙は言う。 本当に、昔から代わらず扱いやすく煽てに弱い娘だ。 何故だろうか、霖之助にはそれを僅かに嬉しく思っている。 簡単なことだ、時には感傷的な気分になることもあるだろう。 故に、その程度の事だと思っていた。 結局、魔理沙の真意を知り得ぬまま、その日の晩餐は終わりを迎えた。 ◆ 日が顔を出し、朝を振り撒きながら昇っていく。 そして、充分な高度を得たそれは、振り撒いた朝を昼へと変質させていった。 そんな、欠伸も出るほど穏やかな日だというのに、霖之助は違和感を覚えていた。 「今日も……来ないのか」 理由は、最近は毎日のように顔を出していた魔理沙が姿を見せなくなった為である。 夕食を密かに頼っていたというのに、霖之助の腹が如何に鳴り響こうとも彼女は訪れなかった。 今日で三日目となった今、何か用事があったのだろうと楽観していた霖之助も、些か不振に思ったのである。 「きみのせいじゃないだろうね」 「あら、失礼ですわ」 誰も居ない店内へと語りかける霖之助は、他者が目にすれば異常だと感じただろう。 しかし、その何も無い空間から返答があったとすれば、話は別である。 こんな事が出来るのは、幻想郷といえども一人しか居ないだろう。 「この数日間、退屈凌ぎにしていたものを自ら台無しにしたりしないわ」 「きみは趣味が悪いね。どうだい、読書でもしてみては退屈もしなくなる」 「何百年か前に飽きてしまったの。質感や音が欲しくなったのよ」 声と共に、空間に切れ目が走り、紫はいかにも胡散臭い微笑みを浮かべて続けた。 その隙間の向こう側は、何故か視覚することができない。 恐らく彼女以外には、認識できない世界が広がっているのだろう。 「当分は通い妻を続けると思ったのだけれど、何かしたの?」 「……してないよ」 「あらそう、随分と甲斐性無しね」 幼き日を知る女の子に手を出すような甲斐性を、霖之助は欲していない。 故に、彼は無言のままで紫へと相対していた。 紫もまた、黙ってその姿をながめている。全てを見透かすような、胡散臭い笑顔を貼り付けたままで。 「まさか、そこまで鈍感じゃないでしょう」 「……何を、言っているんだい?」 「鈍感で愚かな青年を演じるのは、あの子にも失礼ではなくて?」 心の、それも最も深いところの隙間を撫でられた気がした。 霖之助は息を呑みながら、目の前の顔を見る。 嫌なほどに優しい皮肉を貼り付けた微笑みを、目を逸らすことも出来ずに。 そして、彼女の瞳が獲物に飛び掛る直前の獣のようなそれに変わるのを見て、霖之助は本能的に危機を察知した。 「子供にだって分かることよ――」 察知しながら、動くことなどできる訳がないのに。 紫は容赦なく、その爪を霖之助の隙間に振り下ろすのだ。 「――あの子が貴方を好き、家族という概念を軽く越えるほどに愛しているなんてことはね」 息を一つ大きく吸い、吐く。 瞳を閉じてこじ開けられた、愚かな心の隙間を見据えて尚、霖之助は心変わりを表さない。 それでも、気付いていなかったという演技は棄てざるを得なかった。 「少女特有の、若気の至りさ。昔からの付き合いだからね」 「……そうね」 一変して、紫は微笑みを崩しながら、つまらないという表情を浮かべた。 それはまるで、藁の家に身を隠した子豚を嘲笑うかのような光景を連想させる。 彼女は「それでも」と、藁の家に重石をかけるような言葉を吐いた。 きっと、その次に続く言葉は、霖之助の隠れる壁をいとも容易く崩してしまうものだろう。 言わせたら終わりだというのに、霖之助が新たに木の家を目指すには時間が足りなかった。 そして、藁より軽い偽りなど簡単に、彼女の吐息で吹き飛ばされてしまった。 「あなたの気持ちは、決して若気の至りではないでしょう」 お互い若くないものねと、紫は苦笑のようなものを浮かべて瞳を逸らす。 恐らく、レンガ製の言い訳を用意しても、彼女は容易く吹き飛ばしてしまうだろう。 如何に知恵を尽くそうとも所詮は子豚、全てにおいてこの妖怪に叶うはずがないのである。 「他の女性に興味をもたれても鈍感を演じたのは、彼女のことを考えていたからなの」 聞くではなく、断定の言葉を紫は口にする。 境界を読み取る彼女にとって、嘘は服についた埃よりも簡単に剥がれるものに過ぎないのだろう。 霖之助は反論も許されず、座して言葉に耐える他ない。 「愛しているでしょう、あなた」 そして、心の奥底で、霖之助は確かに紫の指で何かが弄られるのを感じた。 同時に、幼き日の魔理沙の姿が思い浮かぶ、守ってやらなければと心に決めた子がそこに居る。 成長するにつれて生意気になって、女の子だと思うようになったのはいつだっただろうか。 その瞳が自分に向いていることに気付きながら、ありえないと否定したのはいつだっただろうか。 そう、霖之助は彼女の言うとおり魔理沙を愛している。 それは保護者として、兄貴分として、友としては少し微妙。 そして、何よりも一人の男として。 「……暇だね、きみも」 「本当に失礼だわ、用事を後回しにしていただけよ」 紫は浮かべていた笑みを更に深く、胡散臭いものにしていく。 その姿に、霖之助はようやく、紫の真意を少しだけ理解できた。 「報酬は、前渡しだった訳だね……」 「あら、これから言うのはただのお願いよ?」 「何かな?」 此処まで焚きつけておいて、紫は霖之助の前に立ちふさがる。 霖之助としては、早々に魔理沙の元に赴きたかったのだが、こうなっては無碍にも出来ない。 彼女はこちらの心を見透かしたように微笑むと、とあるものを空間から引きずり出した。 「……包丁、だね」 「包丁ですわ、買い取ってくださいまし」 それは大層良い品物だと、昔鍛えた目利きの技術で理解できた。 しかし、それだけで特別な能力は込められていない。 恐らくは、幻想郷内で作られたものだった。 「此処は生憎、外界の道具を取り扱っているのだがね」 「それじゃあ、今度客が来たときにおまけにすれば良いのよ」 「例えば、狐さんとかが良いかな」 「そうね、任せるわ」 意図は、簡単に理解できる単純なものだった。 そう考えると、この為だけに紫は、魔理沙に関わろうとしたのかもしれない。 「素直じゃないのは、お互いさまじゃないか」 ◆ 結果的に言えば、魔理沙は只の体調不良であり、霖之助が訪れた際には唸りながら眠っていた。 彼女は肌に汗を浮べ、朱の混じった顔で息を吸い、控えめな胸を上下させている。 覚悟を決める前ならば、何も感じないふりをして汗を拭いてやったり出来たのだろう。 しかし、今の霖之助にそのようなことは出来そうもなかった。 「……こーりん」 呼ぶ声に目を落とすが、魔理沙は瞳を閉じたまま、変わらずそこに居た。 寝言で呼ばれながら、霖之助は彼女の横たわるベッドに腰掛けて、汗で張り付いた髪に指を通してやる。 心なしか、心地よさそうに表情を緩める様に微笑みを溢して、霖之助はいつまでもそうしていた。 「……目が覚めたようだね」 「ん、あ? ……香霖!」 暫くして、目を覚ます素振を見せた魔理沙に語りかけて、飛び起きようとする身を霖之助が制す。 差し出された手に押し返されるように、布団の中に戻りながら、彼女は驚きを隠せないように見えた。 そういえば、霖之助はここに訪れたことがないことを思い出す。 何故かお互い、来いとも言わなければ行こうともしなかったのだ。 霖之助が行こうとしなかった理由は、此処に訪れる前に気付いていた。 そして、彼女が来いと言わなかった理由も、概ね理解することが出来た。 「相変わらず、散らかす癖が治ってないようだね」 「う、うるさい。……魔法使いなんて、皆こんなもんだ」 魔理沙の言葉を信じるのなら、霖之助は魔法使いについて認識を改めなければならないだろう。 恐らくは、此処まで雑多に魔術品を散らかすような魔法使いは、彼女くらいなものだった。 普通なら、お互い干渉し合うマジックアイテムを、こんな危険な状態に保とうとはしないものである。 「……なんで、来たんだよ」 「来るなとは、言われていないからね」 「今まで来なかったくせに」 「……急に来なくなるから」 心配でもしたのかと、魔理沙は茶化すように言った。 それに、霖之助は素直に頷いてみせる。 とたんに赤く顔を染めた彼女は、それ以上何も言わず、そっぽを向いてしまった。 今までは彼女だけが感じていた気まずさを、今は霖之助も感じている。 「魔理沙」 ただ名前を呼んで、熱のせいかそれ以外かで赤くなった彼女の顔を振向かせる。 そして、落とした顔を近づけると、彼女は冗談のように何も信じず、動じなかった。 故に、そのまま唇は重なる。 熱のせいか、熱い口付けを交わす。 顔を離した際、霖之助は目の前に赤を更に紅くする姿を見た。 「な、何してるんだ……」 「……何だろうね」 本当に、霖之助は自分が何をしているのか分からなかった。 三つ数えられる間が空いて、茹ったように顔を朱に染めた魔理沙を見下ろしながら。 霖之助はようやく、順序が違っていたことを思い出した。 「好きだよ」 それ以上は何も言わない、何も返ってこない。 霖之助は、これからゆっくりと、時間をかけて伝えて行こうと思っていた。 しかし、それは―― 「遅い、ばか」 魔理沙に押し倒されて、二度目の口付けをする霖之助には、無理なことだったのかもしれない。 二日後、霖之助は見事に風邪をうつされて、魔理沙に看病されながら。 鈍感の反動か、少し唐突だった自分の行動を後悔しつつ、目の前で揺れる瞳を見上げている。 「天罰よねー」 重なる魔理沙を通して、不敵に笑いつつも覗きに興じる紫の姿が、微かに見えた気がした。 了 「紫様、見てくださいよこの包丁」 「なぁによぅ」 「店で頂いたのです、業物ですよ」 「あら、買ったものより高そうじゃない」 落ち着いた様子の式を見ながら、紫は微かに微笑む。 冷静を装いながらも、目の前の式は九つの尻尾を縦横無尽に振り回しているのだ。 「丁度今の包丁が変え時でしたので、助かりましたよ」 「……良かったわね、藍」 「はい!」 その姿を見ながら、紫はそっと、聞こえないように呟いた。 「人の恋路に手を入れた甲斐も、あったというものだわ」 鼻歌さえ溢して背を向けた式から逸らした瞳の向く先は、一組の男女が唇を合わせているところだった。 一石二鳥、言いながらも紫は笑みを溢した。 底が無いほどに深く、胡散臭い微笑みを。 ←TOP |