“うそつきと天狗。”
作:眼帯兎
「あぁああぁぁ、めがぁああぁぁっ!」
山中に響く叫び声に、木々から鴉を始めとする鳥達が飛び立つ。
妖怪の山の中、その叫びを上げたのは哨戒天狗の一人だった。
威嚇牽制と共にそいつは姿を現し、よほど退屈していたのだろうか、自慢げに自分の能力を語った。
曰く、千里先まで見通す程度の能力。
川の上流の大きな岩の上に胸を張って立ちながら、天狗はそれが如何に有能な力であるかを説明する。
なるほど、これほどまでに警備向きの能力者もそうはいないだろう。
そして、これ以上にないくらい、それは下っ端なのだった。
「はあ、嘘吐き相手に本当を語るとは愚の骨頂だわ」
皮肉と共に唇を吊り上げて、てゐは特性の匂い玉を天狗に投げつけた。
薄紅色の弾は丁度油断していた天狗の目を潰し、白髪の綺麗な髪をドロドロに染めていく。
同時に、鼻の曲がりそうな匂いが辺りに充満して、鼻の良い天狗は叫ぶように鳴き声を上げた。
遠く響くその遠吠えは、仲間を呼び寄せる為のものだろう。
しかし、天狗の語った有能な自分とやらを信じれば、呼び寄せられた援軍は数こそ多かれ、千里眼は持ち得ない。
指揮を取るはずの下っ端がこの調子なら、てゐは鼻歌交じりに山の中を散策できるだろう。
「まったく、何処にでも騙されやすい奴ってのは居るものね」
不意に、脳裏に自分の上司である兎が浮かぶ。
思えばあれも、先の天狗と同じく相当に騙されやすい正直者だ。
するりと獣道に身を滑り込ませたてゐは声もなく笑みを浮かべて、後に残した惨めな天狗の顔を思い浮かべる。
あの表情を見れただけでも、この山に来たのは行幸といえるだろう。
さて、事の起こりは振り返ること半刻ほど前になる。
町娘の装いに身を包んだてゐは、妖怪の山の麓に一人佇んでいた。
やがて、一人の天狗が舞い降りて、尋ねる。
「どういった用件で?」
その言葉に、てゐは短く、守矢の神様を参拝したいと答えた。
頂上に建った守矢神社に参拝客を招く為、一部開放された山道。
そこにおわす神様を祭ると決めた妖怪達は、信仰の為に神社に訪れる者を拒めない。
故に、その分警備の天狗の数は増えて、よそ者が神社以外の場所に近づかぬようにと見張っている。
しかし、てゐは案内と警備にあたっていた天狗を易々と出し抜き、妖怪の山に潜り込んだ。
一度踏み入れる隙を見せれば、頭の回る者にその進入は容易いものである。
いくら下っ端の見張りを増やそうと、山の奥深くまでの道を開放した時点で、余所者の進入を拒むことは困難になっていたのだ
新緑の葉をつけた木々が揺れる中、てゐは山の中を駆け回った。
結局、てゐは頂上にある神社のことなど忘れて、妖怪の山を探検することを選んだのである。
河童の住む清流、陰鬱な豊穣と紅葉の神が膝を抱える森、天狗の待機している滝壺にもわざわざ足を向けてやった。
そこで、警備の天狗と再び鉢合わせて、先の押収に話は戻る。
てゐは文字通り脱兎の如く走りながらも、まだ何かを探すように眉根を寄せていた。
そう、見慣れぬ景色を楽しみつつも、てゐはまだ噂に聞いた河童の想像を絶する世界も、外に続く結界の穴もその眼に映していない。
下っ端天狗が腹を据えて、より高位の天狗に報告するまで僅かに時間がある。
故に、てゐは最後まで、この山を楽しもうと思っていた。
それは、自分を追う天狗にしても、同じことである。
「こちらです、鴉天狗様!」
「……うむ」
響く声に足を止めて、ゆっくりとてゐは振り返る。
鴉天狗という言葉に、迷惑な新聞記者の姿が思い浮かぶが、どうも哨戒天狗が連れて来たのは別の天狗のようだった。
そのことに、てゐは心中で安堵する。
「――あら、いかがいたしましたか?」
そして、如何にも白々しく、細い声をあげる。
目の前では目と髪を汚した哨戒天狗が、唸りをあげつつてゐを睨んでいた。
「いや、山への侵入者が居ると聞いてね」
「まあ、それは大変ですわ」
「白々しいぞ侵入者め!」
鴉天狗は眉根を寄せて、唸る哨戒天狗を窘めつつ、てゐに瞳を向ける。
その態度を見て、てゐは確信した。
「まあ酷い! 私は古くからこの地に住まう兎神。その私が……侵入者ですって?」
「……むう」
言葉と同時に、てゐは隠していた僅かな信仰心と神気を漂わせる。
そこいらの八百万の神よりも信仰の厚い幸運の素兎、かつては兎神と呼ばれたてゐにその程度のことは容易い。
鴉天狗は早くも口を噤み、隣に立つ哨戒天狗へ僅かな疑いを見せていた。
それこそが、てゐの確信したものの姿。
上に立つ者の多くは、部下の姿などまるで知り得ないものである。
それは天狗の優れた社会性故の弱点。
「思えばそちらの天狗様……なにやら山とは違う匂いがいたします」
「……確かに貴様、天狗の匂いがせぬ」
正体の知れない部下に僅かな疑問を持たせた所で、てゐは勝利を確信したのだ。
目の前では哨戒天狗が目を見開いて、隣の上司に反論している。
しかし、それももう遅い。
「あなた、侵入者ね! 変装したところで、天狗様の匂いを真似できていない!」
「――違っ!」
畳み掛けるように叫ぶと、鴉天狗は遂に身体を哨戒天狗へと向けた。
哨戒天狗の瞳に、恐怖の色が映る。
「違います鴉天狗様、私は犬走椛! 哨戒警備にあたる白狼天狗にございます!」
「見苦しいぞ、侵入者め!」
ああ、やはりこの哨戒天狗はどこか自分の上司を思わせる。
てゐは思いながら、どこか薄幸で騙されやすい月の兎のことを思い浮かべた。
涙を浮かべてこちらを指差す天狗の姿は、思い浮かべた兎の姿に良く似ている。
恐らくは、不幸なところが。
「何で私がこんな目に――っ!」
その叫びは、やはり不幸な兎と同じくてゐを笑顔にしてくれる。
鴉天狗に引きずられる哨戒天狗を、てゐは満面の笑みを浮かべて暫く見送っていた。
次へ→
←TOP
|